■五〇歳で記録が途絶えいつ亡くなったか不明

 むろん、彰子や一条天皇が『源氏物語』を読んでいたことは確かだ。一方、道長と式部が当時、“デキていた”――要は式部が彼の愛人だったという噂も囁かれた。

 実際、中世の系図類には「道長公妾」と記されており、2011年に公開された映画『源氏物語 千年の謎』でも、中谷美紀が演じる式部と道長(東山紀之)は“男女の関係”だった。その根拠が式部が綴った『紫式部日記』の次のくだりだろう。

 寛弘六年(1009)とされる夏の夜のこと。土御門邸(道長邸で、彰子が後一条天皇を産んだ場所)の渡殿の局(式部の部屋)の戸を、誰かが叩いた。式部が身を潜めていると、翌朝に歌が贈られてきたことから彼女は歌を返した。

 情を交わした男女がこうした歌のやり取りをすることは常識だった時代であることに加え、局の戸を叩くような大胆な行動ができるとすれば、それは式部の雇い主だった道長しか考えられない。

 当然、これだけで二人が男女の関係にあったとは言い切ることができない。しかも、道長はこのとき、四四歳で、当時は高齢であり、何より晩年は病気がちだった。

 だとすれば、戸を叩いて式部を驚かせようとしただけなのかもしれない。

 ともあれ、右大臣である藤原実資の日記『小右記』などの記述から、式部がその後も彰子のために働いたことを確認することができるものの、やはり、いつ亡くなったかは分からない。

 前述の今井源衛説によると、彼女が寛仁三年(1019)、実資と対面したことを最後に記録から消え、消息が絶えたという。式部、五〇歳だった。

跡部蛮(あとべ・ばん)1960年、大阪府生まれ。歴史作家、歴史研究家。佛教大学大学院博士後期課程修了。戦国時代を中心に日本史の幅広い時代をテーマに著述活動、講演活動を行う。主な著作に『信長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた』『信長、秀吉、家康「捏造された歴史」』『明智光秀は二人いた!』(いずれも双葉社)などがある。

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