■師匠に対抗意識があり実像をより誇張した!?

 さて、少なくとも二〇年以上、天文博士の地位にあった晴明(一時は陰陽博士になっていたと読み取ることができる記録も残る)はやがて、「陰陽の達者」(『政事要略』)、すなわち達人という評価を得た。

 そして、陰陽寮を退き、今でいう引退したあとも陰陽道に傑出しているとの理由から他の官人を差し置き、儀式などに供奉を命じられ、その影響力の大きさは長保三年(1001)、追儺(大晦日に鬼を追い払う儀式で現在の節分の豆まきの起源とされる)の際に示された。

 実はこの数日前、一条天皇の生母が崩御したことから儀式を自粛することになったが、晴明が私邸で率先して追儺を行うと、貴族がこぞって追随したというのだ。

 また、道長の日記(『御堂関白記』)にも清明の仕事ぶりが記録され、前述の『古今著聞集』の話は創作としても、政敵の多かった彼は本当に危機を救ってもらったことがあったのかもしれない。

 一方、たいていの物語に敵役が登場するように、晴明の場合は蘆屋道満がそれに当たる。道満は江戸時代の『安倍晴明物語』に登場する播磨国出身の陰陽師で、晴明が秘蔵する奥義書を自分のものにするために弟子入りし、騙して殺害。だが、晴明が唐に留学した際に師事した僧がそれを知り、日本に渡って秘術を使い、晴明を復活させた。二人は他にも江戸時代の作品で争うことになるが、晴明と同じ時代に道満という名前の陰陽師がいたことは確認できる反面、実際にライバル関係だったかどうかは不明。

 いずれにせよ、敵役まで登場して晴明が伝説化した背景には、安倍家(土御門家)が賀茂家に対抗意識を持ち、実像を大きく見せようとしたこともあるのだろう。

跡部蛮(あとべ・ばん)1960年、大阪府生まれ。歴史作家、歴史研究家。佛教大学大学院博士後期課程修了。戦国時代を中心に日本史の幅広い時代をテーマに著述活動、講演活動を行う。主な著作に『信長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた』『信長、秀吉、家康「捏造された歴史」』『明智光秀は二人いた!』(いずれも双葉社)などがある。

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