山田うどんの創業は1935年。当初は製麺所だった。53年に法人化し、64年には規模拡大のため工場を増築。しかし、大きな販路だったスーパーなどで売上げが伸び悩み、同年に工場の横へうどん屋「山田うどん食堂」を開店したのが皮切りだ。

 翌年4月にはフランチャイズ展開を開始し、80年には主に北関東だけで、280店舗を展開していた。国道を行けば、数キロおきにダウドンがあった光景を、ぼくも幼心に覚えている。

■ラジオスポンサーを降りても縁は続く

 だが、同時期にファミリーレストランが郊外に積極的に出店。その影響をもろに受け、ダウドンの売上げは一気に縮小した。その打開策として、ファミレスには入りづらい層を意識したメニュー構成となり、カレーライスや丼物にうどんやそばを組み合わせた、ボリューミーなセットメニューがウリとなった。現に今も、主たる客層は作業服姿の男たちだ。

 しかし、今世紀に入り、そのガッツリ路線が徒となる。顧客の高齢化が進み、また同様に安くドカ飯を食わせるチェーンも増え、店舗も最盛期から半減。今後の展開に向け試行錯誤する中で、ももクロの思わぬエールが届いたのだ。

 ももクロには独特の昭和なアイドル感が漂う。ファン=モノノフを自称する人らも一癖二癖ある。だからダウドンともマッチする。「ダサいは(一周回って)クール」の典型なのだ。番組をスポンサードするようになると、ももクロのコンサート会場にダウドンの移動販売車が繰り出すのも恒例となった。地方のモノノフが上京してきた際、ダウドンに立ち寄るのももはや儀式である。

『週末ももクロ☆パンチ!』もトリッキーな番組で、百田夏菜子玉井詩織佐々木彩夏の他のももクロメンバーが月替りでアシスタントを務め、ダウドンを運営する山田食品産業の営業企画部長、江橋うどんこと江橋丈広さんが度々出演し、スタジオ横のIH3台でダウドンの最新メニューや人気セットを作っては「差し入れ」として紹介するという編成。

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