前田敦子「笑顔」が唯一の取り柄だった少女はなぜ国民的アイドルグループの絶対的センターになったのか【アイドルセンター論】の画像
前田敦子

なぜ彼女たちは「センター」に立ったのか⁉
アイドルセンター論
AKB48 前田敦子(前編)

 アイドルグループにとって、センターとは組織の顔であり象徴でもある。センターに選ばれる人間が誰であるのかによって、グループの方向性が変わるものだ。本連載ではセンターポジションに立った経験のあるアイドルに焦点を当てて、それぞれの魅力に迫っていく。

 2005年、人前に出ることが苦手で引っ込み思案な普通の女の子が、胸に抱いていた女優という夢を叶えるため一歩を踏み出した。AKB48のセンターとして、グループの草創期から矢面に立って活動を牽引してきた、前田敦子である。グループの成長の道筋を示し、ときには数々のドラマを巻き起こしながら、AKB48を日本一のアイドルへと導いてきた。卒業から8年が経過した現在でもAKB48の“絶対的”なセンターとして語られることが多い。

 本連載の2回目となる今回はAKB48の象徴、いや生き様といっても過言ではない、元AKB48のセンター前田敦子について考えていきたい。

 前田はAKB48の1期生として2005年12月8日にデビュー。女優になるという夢を持って挑んだオーディションでは柴咲コウの『Glitter』を披露している。絶対的センターとして語られる今となっては想像が難しいが、当時は歌唱もダンスも目立たず、支配人(当時)の戸賀崎智信は「将来センターに立つなんて思ってもいなかったです」と述懐していたほどだった。2005年当時は、誰もが前田がこの先のAKB48を引っ張っていくセンターになるとは思ってもいなかったのだ。

 ただそれでも前田にはひとつだけ他人を魅了してしまう唯一無二の「笑顔」という武器があった。オーディションに合格した理由も、この笑顔がポイントだったのだとは戸賀崎の言葉。前田がひとたび無邪気な笑顔を見せれば、見たものは釘付けになってしまう。お世辞にもアイドル向きとは言えなかったが、それ以上に他のメンバーにはない笑顔があった。のちにこの笑顔に多くの人々が魅了されていくのである。

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