■おニャン子クラブ初の“卒業”メンバーとなる

 おニャン子のほぼオリジナルメンバーであり、最年長者である彼女は、オフィシャルな卒業生第1号であった。それ以前にも今のアイドルグループでいう活動辞退者のようなメンバーはいたが、卒業セレモニーを開催した上で去ったのが、彼女と会員番号5番の中島美春が最初だったのだ。

 おニャン子結成から約1年後の1986年4月1日のことである。なお、 おニャン子在籍時のラストソロシングル『青いスタスィオン』はオリコン年間チャート(週間ではない)10位のヒットを記録。まさに絶頂期の卒業だった。

 卒業後の彼女はおニャン子との関係を切ることなく、新曲リリース時には『夕ニャン』で曲を披露し、コンサートにもゲスト参加。1987年のおニャン子の解散公演にも出演している。

 もともとシンガーソングライター志向のあった河合は、おニャン子解散前後から自作曲を発表するようになり、アイドル路線からの脱却をはかり、数年後にはテレビにはほとんど出演しなくなる。結果的にそれはセールスの低下にもつながり、90年代になると活動がほとんど目立たなっていく。この前後に、何度か実現したおニャン子の同窓会的な場にも一度も顔出さなかった。

 その名前が久々に聞かれたのは1994年、ミュージシャンであり作曲家の後藤次利との結婚が報じられたときだ。なお、後藤は離婚歴が2度あり、過去に何名かのアイドルとの不倫を含む交際説があったことから“アイドルキラー”と呼ばれた人物である。そのことから、当時は河合の行く末を憂慮する向きもあった。だが、それは余計な心配だったようで、2人は25年以上、夫婦の関係を続けている。

(文/ミゾロギ・ダイスケ)

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