メロン記念日「ハロプロ内の不人気グループ」を支えた初代リーダー村田めぐみ【アイドルグループ「最年長メンバー」列伝vo.22】の画像
※画像はメロン記念日『This is 運命』より

アイドルグループ「最年長メンバー」列伝

「長女タイプがたまらなく好き」「お姉さんキャラに何故かハマる」「推しはグループの年長者ばかり」……これは、そんな指向性をもつアイドルファンのための連載である。毎回1名ずつ、過去半世紀の女性アイドルグループごとに在籍した“最年長メンバー”たちの華麗なる軌跡を綴っていきたい。

第22回 メロン記念日:村田めぐみ Megumi Murata

■ハロプロ内の不人気グループから運命を変える

 1999年から2000年にかけて行われた計4度開催された「モーニング娘。&平家みちよ妹分オーディション」(当初は「平家みちよ&モーニング娘。妹分オーディション」だったが途中で改称となった厳しい現実がある)は、ハロー!プロジェクトの勢力拡大の礎となった場であり、そこから松浦亜弥が発掘されている。

「メロン記念日」も同オーディション出身で、第2回の上位に残ったメンバー4名により結成されたグループである。そして、その最年長は1981年3月3日生まれの村田めぐみだ。彼女と同学年のハロプロメンバーには、モーニング娘。の保田圭(1980年12月6日生まれ)がいた。

 現在のハロー!プロジェクトは、序列的にモーニング娘。がトップの扱いであるものの、各グループの格差があまりないように配慮がされている。どのグループが人気があり、どのグループはイマイチなのか……が分かりづらいようになっている。

 しかし、2000年代初頭は、松浦亜弥を別格的例外として、モーニング娘。が圧倒的な一強で、ハロプロ全体のコンサート会場で不人気のグループ、メンバーは明白だった。

 メロン記念日についても、当初は必ずしもファンに大歓迎されていた訳でもなく、CDのセールスもパッとせず。単独コンサートも行えなかった。モーニング娘。とは天と地ほどの格差があった。村田はそんな時代のリーダーだった。

 アイドルグループのリーダーや最年長メンバーには、(1)自らが率先して前面に出てグループをリードするタイプ、(2)後ろに控え頼りにされる姉御肌タイプ、(3)一歩引いて全体を見渡すタイプなどいくつかの系統がある。穏やかな性格の村田は(3)に該当する人物だったように思われる。

 不人気だった時代のメロン記念日についてはあまり語られることがないが、屈辱的なことも、心が折れそうになることも、多々あったのだろう。しかし、そんな状況が、リーダーの村田以下、メンバー4人の結束を固くしていった。

 メロン記念日の、文字通り運命を変えたのは、2001年10月11日にリリースされた4thシングル『This is 運命』である。この曲はオリコン週間チャートでの最高位は28位と特筆すべき大ヒット曲ではない。しかし、ライブで盛り上がる楽曲として認知されるようになり、それを歌い続けることでハロプロ内での彼女たちの人気も上昇。

 以後のシングルを出す度に順位が上がっていき、2003年1月29日発売の『赤いフリージア』で初のトップ10入りを果たした。村田は、このブレイク期にリーダーの座を斉藤瞳に譲っている。

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