■コント、舞台主演を経て女優としてステップアップに成功

 結局、ribbonは『リトル☆デイト』を超えるヒット曲を残せなかったが、アイドルの絶対数が少ない時代背景もあり、テレビでの露出は多かった。とくにバラエティ番組出演が多く、『KURA・KURA』(テレビ朝日系)というメインとなるコント番組を持っていた。そのほか、劇団☆新感線公演『TIMESLIP 黄金丸』に主演するという異例の展開もあった。そのなかで、永作は常に目立つ存在だった。

 結局、これらの経験で演技者としてスキルを磨いた永作は、1994年には中村雅俊主演の『陽のあたる場所』(フジテレビ系)で単独で女優デビューを果たした。また、歌手としても1993年に『My Home Town』という曲でソロデビューしている。事務所側が、永作を単体で売り出す路線に切り替えたのは明白だった。

 一方で、その前後からribbonとしての活動は激減し、新曲のリリースも途絶えるようになる。散発的なテレビ出演などはあったが、結局、いつまでグループが存在したかは不明確なまま、やがて活動はゼロに。まだ、ネット普及前の時代だったため「ribbonに関する重要なお知らせ」がリリースされることはなかった。

 その後も永作の活動については説明が不要だろう。遅咲きのアイドルだった彼女はそれをステップに主演級女優として長く活動するのである。

(文/ミゾロギ・ダイスケ)

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