山田菜々「後継者オーディション」が行われたグループの大黒柱はNMB48前にもアイドルフープに在籍【アイドルグループ「最年長メンバー」列伝vo.27】の画像
※画像は山田菜々 写真集 『 nanairo 』より

アイドルグループ「最年長メンバー」列伝

「長女タイプがたまらなく好き」「お姉さんキャラに何故かハマる」「推しはグループの年長者ばかり」……これは、そんな指向性をもつアイドルファンのための連載である。毎回1名ずつ、過去50年間の女性アイドルグループごとに在籍した“最年長メンバー”たちの華麗なる軌跡を綴っていきたい。

第27回 NMB48 山田菜々:Nana Yamada

■2大アイドル集団に在籍という激レア経歴を持つ

 早いものでNMB48の誕生から10年になる。このグループの歴史上、梅田彩佳柏木由紀高柳明音ら、本店や他の支店からの出向者を除く歴代最年長メンバーは、1992年4月3日の一期生・山田菜々だ。AKB48SKE48と違い、結成当初のNMB48には20代のメンバーは1人もおらず、最年長の山田は当時まだ18歳だった。彼女はまた、極めて特異なプロフィールの持ち主として、アイドル史に名を残す人物でもある。何しろ、ハロー!プロジェクトとAKB48グループの両方に在籍歴があるのだ。

 以前もこの連載で触れたが、ハロプロはアイドル戦国時代以前に、様々な実験的な試みをしていた。ただし、時代が早すぎたのか、それらは必ずしも実を結ぶとは限らなかった。その一つが地方での展開だ。2005年に『ハロプロ関西オーディション2005』を開催し、その合格者を「ハロプロ関西」の名のもとに研修生として育てたのだ。そのなかに、当時は「中山菜々」と名乗っていた山田もいた。

 ハロプロ関西のメンバー4名は、2008年4月に新ユニット「SI☆NA」を結成し、デビューを目指すことが発表される。ただし、ハロプロメンバーや、そのOGのイベントにゲスト出演するなどしていたが、当初はハロプロの公式サイトに彼女たちの名前がなかったばかりか、ハロプロの合同コンサート(ハロコン)にも未登場で、ファンの眼中に入りづらい存在だった。かといって、関西圏で局地的な人気を得ることもなく、中途半端な状態が続いた。オリジナル曲はあったがCDリリースもナシ。ハロプロに在籍するメリットがないに等しかったのだ。

 やがて、公式サイトに名前は乗るようになるが、山田は2009年7月25日にグループを脱退し、一度、芸能界を離れている。

 しかし、アイドルへの夢を諦めきれなかったのだろう。山田はそれから1年も経たない2010年9月20日に「NMB48オープニングメンバーオーディション」を受けて合格。NMB48第1期研究生25名に選ばれ、さらに16名の選抜メンバーの一人となり「チームN」の所属となった。

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