■「希望をつなぐために…」と告白

 取材のなかで、今回の全日本選手権への出場を決めた経緯を聞かれた羽生は、「僕自身の希望を何とかつなぐために、出させていただいた」と、胸のうちを打ち明けている。

「喘息の持病がある羽生にとって、このコロナ禍での日々は他の選手以上に精神的につらいものがあったはずです。そのことを聞かれると“毎日1人でコーチなしで練習をしていた。ケアとかも難しかったですし、家族以外とはほぼ接触はしていないです”と語っていました」(前出のスポーツライター)

 9月15日に発売された『女性自身』(光文社)では、羽生のこの言葉どおりの姿が報じられていた。

「『女性自身』によると、羽生は9月上旬の深夜、2012年に拠点をカナダに移すまでホームとしていた馴染みの仙台市にあるスケートリンクに姿を現したそうです。そこで1時間ほど練習に励んだ後、父親や母親、姉と思われる女性と一緒に車に乗り込み、帰宅の途についた様子が報じられていました」(前同)

 羽生はコーチのいるカナダには戻らず、家族のサポートを受けながら、地元で練習に励んでいたのだ。

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