明石家さんま流「ひな壇スタイル」の源流は「あっぱれさんま大先生」だった!!の画像
内山信二

あっぱれさんま大先生』といえば、フジテレビ系で1988年11月からレギュラー放送が開始され、番組名を少しずつ変えながらも2004年10月まで実に約16年にわたって継続した番組だ。そのタイトル通り、さんまが「あっぱれ学園」という名の架空の学校の「先生」となり、子供たちとトークを中心とした企画を展開していく番組だった。

 誕生のきっかけは『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)の「タケちゃんマン」のコーナーだったという。幼稚園の教諭に扮したさんまが、幼い子供たちとの掛け合いから大きな笑いを生み出していく様子に演出の三宅恵介は注目し、これを番組にできないかと構想を練っていった。生徒たちのオーディションには、さんまも自ら参加した。選出の基準は「子供らしい子供」。

 挨拶や自己紹介がしっかりできるような、いわゆる「子役」として“完成”されているような子供は、その時点で落選だったという。だから落選した子供の中には安達祐実や後藤久美子、ウエンツ瑛士、坂本真綾ら錚々たる人物も含まれている。「自分が思っていることや感じていることを素直に言葉・表情・態度で表現できる子」(『ひょうきんディレクター、三宅デタガリ恵介です』)を選んだ。そこから「内山くん」こと内山信二山崎裕太加藤諒などのスターが誕生した。ほかにも卒業生には、前田愛、オカモトレイジ(当時・三宅零治)、花澤香菜落合モトキ、森絵梨佳などもいた。

 そんなテレビ史に残る番組だが、明石家さんま自身にとっても大きな転機となった番組だったはずだ。番組が始まった1988年は、さんまが大竹しのぶと結婚した年。それに伴い父親にもなった。翌年、いまる(IMALU)が産まれると自ら仕事をセーブし、家庭を優先するようになった。そんな父親・さんまにとって、子供と触れ合う番組は大きかったに違いない。それだけではない。この頃、さんまは自らのテレビでの立ち位置を模索していた。

「お前はどっちの味方なんだ!」「あんたに決まってまんがなぁ~」などと『笑っていいとも!』(フジテレビ)ではタモリ、『ひょうきん族』ではたけし、それぞれの「腰巾着」として、いわゆる「コバンザメ的」なキャラを演じていた。笑いは誰よりもとるが、“二番手”というポジションだ。

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