■さんまは子供番組とは思っていなかった
80年代半ばまで、「BIG3」といえばたけし、タモリ、萩本欽一だった。それが変わっていったのが80年代後半。87年に始まったフジテレビ版『24時間テレビ』である『テレビ夢列島』で、フライデー事件の謹慎明けのたけしが“乱入”するという形で3人が揃い踏みに。翌年1月に『タモリ・たけし・さんま 世紀のゴルフマッチ』という正月特番が始まったことで「BIG3」はこの3人を指すことに定着していった(91年より『タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ』と改称)。そのようにして、さんまは萩本欽一に代わり「BIG3」の一角となり、番組のメインを任されることが多くなった。否が応でも、“回される方”から“回す方”へ転身しなければいけない時期だった。
その“実験場”のひとつになったのが、『あっぱれさんま大先生』だったのではないか。
「さんまさんも僕も、これが初めての子供番組でしたが、2人とも子供番組とは思っていなかった」と、ディレクターを務めた三宅恵介は振り返る。「子供に合わせる番組はダメ、大人が観ても面白い番組にしなきゃと思ってましたから。さんまさんは『○○でちゅか~?』とか絶対に言わない。子供たちには一人の人間として、対等に接していました。単純に『教室を舞台にした大喜利』ですね」(『本人』Vol・11)
さんまがフリ、子供たちが子供らしい発想で答え、それに対してさんまがツッコんで笑わせる。聞き出した話は、すべてさんま流に変換して、最後は自分の笑いに持っていってしまう。
必ずしも子供たちの「答え」が、ちゃんとしたボケでなくても構わない。この場では「権力者」であるさんまが執拗に問い詰め緊張を強いることで相手にツッコミどころができていく。それをすかさずさんまがツッコミ、大きな笑いを生むのだ。いわば、萩本欽一が坂上二郎や素人相手に用いた手法に近い。萩本欽一に代わり「BIG3」の一角を継承したさんまは、実は芸風でも萩本欽一を継承していたのだ。それをさんまは大多数の子供相手に行なっていた。思えばそれは、素人女性やタレントなどに相手は変わるが『恋のから騒ぎ』や『踊る!!さんま御殿』(ともに日本テレビ)などにも継承されたやり方だ。
つまり『あっぱれさんま大先生』は現在も続く、さんまひとりが大勢の相手を回して仕切り、最終的にさんまがツッコミ笑わせるという、さんま流の「ひな壇」スタイルの原型となったのだ。
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