■退所やむなしの状況だった
9月21日の『文春オンライン』では、植草が1990年代半ば、周囲に「僕とニシキ(錦織)は、月給30万円で働いているんです。ヒガシ(東山)とは待遇が違いすぎて」と漏らしていたと報じている。
「昨年9月発売の『FRIDAY』(講談社)では、東山の年収は3億円を超えると伝えています。『文春オンライン』が報じた話と合わせて考えると、単純比較はできませんが、東山は、錦織と植草の約100倍稼いでいたことになりますよね。加えて、30周年時の遺恨で仕事もなく、歩合制に変更となれば、錦織と植草は経済的に相当厳しい状況に追い込まれ、退所もやむなし、だったのではないでしょうか。
ただ、今となってみれば、後輩から畏敬され、天才との呼び声が絶えない錦織を退所させてしまったのはジャニーズ事務所としても大きな損失なのではないでしょうか。ジャニー氏からも“歌、踊り、演出面、少年隊はすべて完璧”と一目置かれていたグループのリーダー錦織も、ジャニーズをやめたいと本心から思ってはいなかった可能性も考えられます。双方にとって、退所は無念だったのかもしれませんね」(前出の夕刊紙記者)
3月1日、WEBマガジン『B-plus(ビープラス)』で、演出を務める同月13日からCBGKシブゲキ!!で上演される舞台『シャイニングモンスター ~ばくのふだ〔Shining編/Shadow編〕~』について語った錦織。
インタビューでは「彼らのような世代と一緒に仕事をしていると、僕自身も若いエネルギーをもらえている気がします。『人生で一番楽しいのは今だ』と感じさせてもらえるんですよ」と若いキャスト陣との仕事を楽しんでいる様子を語った。
新たなステージに歩を進めた今の錦織に、ジャニーズ事務所時代のことを振り返る時間はないのかもしれない――。