志村けん
志村けん

 ザ・ドリフターズのメンバーで“コントの天才”と称された志村けんさん(享年70)が、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなって、早1年。長年、お笑い界をけん引した彼を慕う人は数多い。『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)でレギュラーを務めた女優のいしのようこは最近になって「若かりし頃に教えていただいた数々のこと、忘れません」と述懐している。

 また同様に志村さんの死についてこれまで沈黙を保っていたタレントの優香も、先日放送されたテレビ番組で初めて思い出を語った。

「(コント撮影は)すごく楽しかったです。(志村さんは)表情がすごく面白い。私の中で無理して笑ったことはなかったです」(3月2日フジテレビ系で放送の『志村友達』より)

 20年近い親交があった優香を志村さんは溺愛しており、芸能界では“永遠の恋人”として知られていた。

 一周忌を前に、志村さんの死を悼む声が各方面からあがっているが、本誌は『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』(集英社インターナショナル)を出版した元付き人の乾き亭げそ太郎さんに、思い出を聞いた。

「僕が付き人をしていたのは約7年。ほぼ毎日一緒にいましたが、僕がお金を払ったことは、一度もありませんでしたね。僕一人で食事するときは“これで食べなさい”と、1万円渡してくれるんですよ。志村さんに悪いので、領収書をもらって、お釣りは返していましたが、今までのお釣りだけで家が建つんじゃないですかね(笑)」

 若手芸人には手が届かない高級料理の味も、教えてもらったという。

「お寿司やふぐ、フカヒレなど……数えきれないほどご馳走になりました。高級料理は志村さんがクラブに行く前に、2人で食べることが多かったですね」

 そんな志村さんが愛したのは、六本木のネオン街。

「志村さんはホステスさんと飲むのが大好きで、ときには同伴女性を車に乗せることもありました。志村さんの“クラブ活動”は何軒もハシゴするので、深夜3時くらいまで続きました(笑)。とにかく、仕事が終わって、すぐ家に帰ることはほとんどない方でしたね」

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