■負けた直後、両親が頭を下げている姿
「(テレビのソウル五輪総集編に)僕の試合も出たんですが、試合終了直後に観客席が映った。そこに両親が、僕が負けた直後、周りで応援してくれた人たちに頭を下げている姿がありました。そのとき、殻に閉じこもっている自分が恥ずかしく思えたんです。そしてウチの両親も含め、自分を応援してくれた人たちに、“もう、こんな悲しい思いをさせたくない”と心に誓いました」
それから4年後、古賀さんは“恩返し”を胸に秘め、バルセロナ五輪に臨んだという。
「恩返しの力というものを初めて知りました。それまでは自分のため、という思いだけで柔道をやっていた気がします。(中略)誰かのためにも闘うことを考えると、“もうダメだ”なんて思えなかったです。恩返しという気持ちのおかげで“ケガをしてでも、なんとかしてやろう”という気持ちになれました」
だが、このとき、古賀さんは手負いの状態だった。大会直前、現地での練習中、左膝のじん帯を損傷する大ケガを負っていたのだ。
「(試合前に注射を打った)ドクターは“こんなに早く痛み止めが効くはずはない”と驚いていました(笑)。たぶん、自己暗示的な部分もあったと思います。試合中、膝のケガのことは一切、意識の中になく、勝負に集中できた。それが金メダルにつながりましたね」
偉大なる柔道家の早すぎる死に、合掌――。