地下鉄サリン事件の際、江川紹子が『週刊文春』を主戦場にしたのは花田紀凱がいたからの画像
柳澤健著作の『2016年の週刊文春』(文藝春秋)

柳澤健『2016年の週刊文春』著者インタビュー 4/7

 『2016年の週刊文春』は文藝春秋という会社と『週刊文春』という雑誌を軸に、日本の出版ジャーナリズムを描き切った大作だ。主人公は花田紀凱と新谷学、2人の『週刊文春』編集長。著者の柳澤健は、2人の間の世代の文藝春秋社員で、彼らとともに仕事をしてきた編集者だった。彼が見た2人の天才編集者の実像とは――。7回にわたって語ってもらった。

――雑誌の景気が良かった時代とはいえ、ヨーロッパでの現地取材を全て若手に任せるのは太っ腹というか、上司としての懐の深さを感じます。

柳澤:面白いのは、それで話が終わらないところ。『週刊文春』から『Number』に異動になった私は、1992年の日本サッカーの異常な盛り上がりに遭遇する。イタリア90を見ていたからこそ、特集担当デスクとして、『Number』初のサッカー日本代表号も作ることができた。ラモス瑠偉を表紙にして、ラモスとジーコの対談を特集のアタマに持ってきたんですけど。その翌年(1993年)がいわゆる「ドーハの悲劇」。デスクの私は自らドーハに飛んで、FAXで大量の指示書を日本に送り、フィルムも全部持ち帰った。最初のヨーロッパサッカー特集を作ったのも私だし、出版部に移ってからは後藤健生さんと『サッカーの世紀』という本を作って、帯に「知的サッカーファンの必読書」と書いた。今見ても掛け値なしにそう言える本になったと思う。以後、文藝春秋は多くのサッカー本を出すことになった。

 自慢話をしたいわけじゃなくて、花田さんにイタリア90に行かせてもらったことが、多くのアウトプットを生んだということ。

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