花田紀凱が「マルコポーロ事件」で文藝春秋を追われたのは本人にとってはよかった!?の画像
柳澤健著作の『2016年の週刊文春』(文藝春秋)

柳澤健『2016年の週刊文春』著者インタビュー 5/7

 『2016年の週刊文春』は文藝春秋という会社と『週刊文春』という雑誌を軸に、日本の出版ジャーナリズムを描き切った大作だ。主人公は花田紀凱と新谷学、2人の『週刊文春』編集長。著者の柳澤健は、2人の間の世代の文藝春秋社員で、彼らとともに仕事をしてきた編集者だった。彼が見た2人の天才編集者の実像とは――。7回にわたって語ってもらった。

――しかし、そんな飛ぶ鳥を落とす勢いだった花田さんも、マルコポーロ事件をきっかけに閑職に左遷され、やがて文藝春秋を去ることになります。

柳澤:マルコポーロ事件のときに、花田さんのことを悪く言う人はとても多かったよ。私は花田さんのことが大好きだったから、本当に傷ついた。あれだけ会社に貢献した人を追い出すのか。文春はなんてひどい会社なんだって。勝谷もすぐあとに、文春に絶望して会社を辞めた。あのときは、会社の上層部は、現場のことは本当に何ひとつ見えていないんだと絶望した。

 ただ、マルコポーロ事件があったことは、花田さんにとってはいいことだった、と言う人もいるんだよ。もしマルコポーロ事件がなければ、花田さんは数年後には編集局長で、その次は役員。要するに現場から離れてしまう。あれだけ雑誌を好きな人が、雑誌を作れなくなってしまう。

 でも実際には、マルコポーロ事件がきっかけで文春を辞めた花田さんは、朝日新聞で『UNO!』を作り、角川書店で『Men’sWalker』を作り、その後も『WiLL』『月刊Hanada』と現場が続いて、80歳近くなったいまでも雑誌を作り続けている。雑誌が大好きな花田さんが、ずっと雑誌を作り続けられることができたのは、マルコポーロ事件のお蔭と言えなくもない。

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