■「いまもバリバリの現役なのがスゴイ」
花田さんが『週刊文春』の編集長だった1990年前後、雑誌の宣伝のために、報道番組のコメンテーターを週一回、ワイドショーに出演していたんだけど、「テレビ局が花田さんを年収5000万円で引き抜こうとしている」という噂が社内にパッと広がったことがあった。「テレビに行くんじゃないの?」という声を聞いた私は結構バカにしていた。「はあ? 何言ってるの? みんな花田さんのことを全然わかってない。あんなに雑誌を好きな人が、どんなにお金を積まれたところでテレビなんかに行くわけがないじゃん」って。
花田さんは朝日新聞社に行くとき、自分が文藝春秋に引き込んだ特派記者たちは連れて行ったけど、社員編集者である我々には一切声をかけなかった。「一緒に来てくれよ」って言われれば、我々は絶対ついて行ったはず。勝谷も私も。その時は「どうして誘ってくれないんだろう?」と思ったけど、花田さんからすれば、文春でそこそこいい給料をもらって楽しく仕事をしている社員編集者を、朝日新聞社の契約社員にすることにためらいがあったんだろうね。部下たちの人生を決めることはできないと思ったんでしょう。
今、花田さんに当時の話を聞いても、文藝春秋への恨み言は一切出てこない。「文春はいい会社だよ」って言うだけ。「あんなに嫌な思いをして辞めたのに!」とは思うけど。『月刊Hanada』があるからだろうね。今の花田さんにとって一番大事なのは、目の前にある『月刊Hanada』。昔の話もしてくれるし、「あの頃は楽しかったね」と言ってくれるけど、過去の思い出にすがる老人ではなく、いまでも現役バリバリの編集長であるところが凄い。
(取材・文 菊池俊輔)
PROFILE
やなぎさわ たけし
1960年東京都生まれ。ノンフィクションライター。慶應義塾大学法学部卒業後、空調機メーカーを経て文藝春秋に入社。花田紀凱編集長の『週刊文春』に在籍。新谷学とは同時期に『Number』で働いたことも。2003年に独立、2007年に『1976年のアントニオ猪木』で単行本デビュー。
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