■非常に慈悲深い性格で市井の人気者だった!
ただ、囚人らが涙を流した真の理由はまた別だったようだ。
罪を犯すと地獄に落ちるといわれていたこの時代、誰でも極楽往生を遂げることができるという和歌を残した空也に諭されたからともいわれる。
一方、神泉苑(京都市中京区)の北門に病気の老女がいた際のエピソードも残されている。
空也が老女に魚肉を与えた続けたところ、彼女は元気を取り戻して、あろうことか「あなたと交わりたい」と要求。
沙弥の身分とはいえ、僧の見習いである空也にとって女犯は罪だったが、慈悲の心で老女の気持ちに応えようとすると、彼女は、「私は神泉苑の老狐。上人はまことの聖人なり」と言って、姿を消したというのである。
もちろん、老女が狐の化けた姿ということは現実的にありえないものの、空也がそれだけ慈悲深かったことを示すエピソードの一つとは言える。
彼はこうして市井の人気者となり、四六歳のときに天台宗比叡山延暦寺の座主の勧めで受戒し、正式な僧となった。
少し意地悪な言い方をすれば、天台宗が空也の人気を取り込もうとしたと言えなくもないが、彼は晩年、東山に西光寺(のちの六波羅蜜寺)を開き、ここで他界。
生涯、一人の念仏行者を貫き、のちの法然や親鸞のように一宗派をなすようなことこそしなかったものの、彼が念仏の祖である事実に変わりはない。
●跡部蛮(あとべ・ばん)1960年、大阪府生まれ。歴史作家、歴史研究家。佛教大学大学院博士後期課程修了。戦国時代を中心に日本史の幅広い時代をテーマに著述活動、講演活動を行う。主な著作に『信長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた』『信長、秀吉、家康「捏造された歴史」』『明智光秀は二人いた!』(いずれも双葉社)などがある。