■トークショーで“奇跡”が

 人見知りでシャイな性格のため、トーク番組などの出演は断っていた田中さん。ただ、あまり知られていないが、山形県だけでは数多くのトークショーを開催していた。その立役者となった山形在住の映画パーソナリティ、荒井幸博氏はこう振り返る。

「98年に、天童市から“トークショーに田中邦衛さんを”と話が上がったんです。映画の仕事をしていたこともあって、私が関係者に連絡したんですが、“そんなの無理だ”って一蹴。粘り強く交渉すると“話だけは本人に伝える”と言われたんです。その2日後、本人から、まさかのOK。これには我々だけじゃなく、先方も驚いた様子でしたね」

 実際に開催されたトークショーは30回に上った。田中さんは人情味にあふれ、自然豊かな山形を愛し、プライベートで訪れた回数も含めれば、50回以上に上ったという。トークショーでは、こんな“奇跡”が起こったことも。

「あるトークショーで、田中さんが、小学校に上がったばかりの子どもの頭をなでたんです。後日、その子の母親から連絡があって、“息子は自閉症で何もしゃべれなかったんですが、頭をなでてもらった翌日から、話ができるようになりました”というんですよ。動く黒板五郎さんには、そんな信じられない魔力まであったんです」(前同)

 前出のガッツ氏は田中さんの人柄を、こう語る。

「邦衛さんは、役の中では気取っていたとしても、役から離れれば、あれほど人懐っこい主役さんはいませんでしたね。周囲のみんなにも気を遣っていました。そのような方と、一緒にドラマをやらせていただいて、本当に幸せでした」

 幾多の感動を生んだ名優に、合掌。

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