■ゲリラ戦術が影響して“悪党”と呼ばれた!?

 では、楠木氏はもともと、どこの出身なのか。

 駿河国入江荘に楠木村(静岡県静岡市)がある。しかも、入江荘は得宗家の支配下にあったと考えられ、楠木氏は霜月騒動後、駿河から河内に進駐したとみられる。

 一方、北条得宗家の家臣がなぜ、悪党と呼ばれるようになったのか。

 千早城におけるゲリラ戦の影響がまず、考えられる。『太平記』によると、正成は城兵に藁で等身大の人形を作らせ、鎧を着せて偽装。

 藁人形兵を城外に出し、城兵がその背後で鬨の声を上げると、幕府の兵は勘違いして攻め寄せた。

 そして、本物の城兵は彼らを引き寄せて少しずつ城内に誘導し、人形に近づいた瞬間に大石を投げ下ろし、三〇〇余人が死亡し、五〇〇余人が負傷したという。

 実に悪党らしい戦法で、御家人なら、こんな戦い方はしない。

 また、正成が赤坂城で挙兵する前、隣接する和泉国の荘園に攻め入ったことに絡み、乱入したことを示す「悪党楠(木)兵衛尉押妨」(『天龍寺文書』)との史料も残っている。

 むろん、荘園領主にとって、乱妨を働く正成は悪党そのものだが、ただ、これは天皇の挙兵に応じるための兵粮米徴収。

 こうした誤解も重なり、北条得宗家の家臣だった正成が悪党と呼ばれるようになったのだろう

●跡部蛮(あとべ・ばん)1960年、大阪府生まれ。歴史作家、歴史研究家。佛教大学大学院博士後期課程修了。戦国時代を中心に日本史の幅広い時代をテーマに著述活動、講演活動を行う。主な著作に『信長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた』『信長、秀吉、家康「捏造された歴史」』『明智光秀は二人いた!』(いずれも双葉社)などがある。

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