■「小町」という名前に素性に迫るヒントが!
小町は以上のことからして、九世紀半ば、出羽の豪族の娘を母に畿内地方で小野一族の姫として生まれたということになる。
また、当然のように歌を詠むことが巧みで、自らその衰えを嘆いたことを思えば、やはり美女だったのではないか。
また、「小町」の名から素性を窺い知ることもできる。そもそも小町の「町」は、宮中の局(部屋)を意味するという説がある。天皇が公務する紫宸殿の北に常寧殿という建物があり、ここを間仕切りし、奉仕する更衣が住む局となっていたというのだ。
天皇のお手がついた女官は妻(后妃)となるが、そこには皇后を筆頭に序列があり、更衣は女御の下になる。そのため、小町という名から、彼女が小野一族出身の更衣だったという説が生まれた。
そして、九世紀半ばに小野一族から出た更衣として知られているのが、小野吉子。
よって、仁明天皇の後宮に入った彼女が小野小町に比定される。
実際、小町の歌には人目を憚る相手との逢瀬を読んだものがあり、その相手が仁明天皇だったとすると、辻褄が合う。
もちろん、小町を小野吉子と断定する決定的証拠はないものの、仁明天皇の後宮の女官の一人だったというところまでは信じていいのではないか。
●跡部蛮(あとべ・ばん)1960年、大阪府生まれ。歴史作家、歴史研究家。佛教大学大学院博士後期課程修了。戦国時代を中心に日本史の幅広い時代をテーマに著述活動、講演活動を行う。主な著作に『信長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた』『信長、秀吉、家康「捏造された歴史」』『明智光秀は二人いた!』(いずれも双葉社)などがある。