■ヒット曲多数のキンキが20年『紅白』に出場できなかったワケ

 今回、キンキの2人が揃って事務所に対する不満を明らかにした裏には、『NHK紅白歌合戦』の存在もあるようだ。前出の芸能プロ関係者は続ける。

「キンキはミリオンを超える大ヒット曲を連発しているにもかかわらず、『紅白』に出場したのは2016年の1回だけ。当時、デビュー20年での初出場ということで話題になりました。一方で、TOKIOは大ヒットと呼べるような曲はキンキよりも少ないにもかかわらず、24年連続で『紅白』に出場している。

 キンキが年末年始にドーム公演をやっていたから、という事情もあるのでしょうが、キンキが長年にわたって『紅白』に出場できなかったのは、かつてジャニーズ事務所内にあった派閥が強く関係しているといいます」

 SMAPが解散する前、ジャニーズ事務所内にはSMAPチーフマネージャーのI氏が束ねる“I氏派”と、TOKIOやを束ねるジュリー氏による“ジュリー派”があったと言われている。

「そんな中、キンキはジャニー喜多川氏(享年87)の管轄にあったんです。I氏がいた頃、事務所内にはゴリゴリに派閥があり、“派閥が違えば別会社”というほどの状態だった。そういった露骨な派閥争いのしわ寄せを食らっていたのがキンキだったわけです。

『紅白』にはI氏からはSMAPを出す、だったらジュリー氏サイドはTOKIOと嵐を、といった具合に、派閥内から出るグループを選出していた。しかし、全体の“ジャニーズ枠”の数は決まっています。その結果、キンキは『紅白』に出られなくなっていた、と言われています」(前同)

 キンキの2人が、「俺らはどうせ出してもらえないから」など、『紅白』に出場できないことに不満を漏らすこともあったという。

「簡単には消えない“『紅白』の恨み”も持つキンキの2人にしてみたら、ヒット曲もあって、事務所内での序列は三番手。にもかかわらず、“いまだに事務所内での扱いはこんなもんなの?”といったところでしょう。

 光一さんがブログやインスタライブで不満を漏らしたのは、“さすがにこれは言っとかなあかんな”、“またですか”という思いがあったからで、『紅白』を巡る積年の恨みも含めて爆発してしまったのではと言われていますね」(同)

 キンキのコンサートでは2人の長時間にわたるトークタイムも名物の1つとして知られている。元日のトークタイムでは、2人が事務所への愚痴を語る場面もあるのかもしれない……。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4