■日野富子は「尼将軍」を理想の政治家とした!
富子は実際、将軍や奉行に御内書(将軍が発給する私的な文書)を出すように促しながら政務を見なければならず、政子が自身の「仰せ」で弟に命令を執行させていたことを考えれば、彼女とは権限的に大きな違いがある。
だが、富子は当代随一の学者で摂政を務めた一条兼良が彼女のために書いた『小夜のねざめ』で、政子を顕彰したこともあり、「尼将軍」を理想の女性政治家として参考にしたという。
その富子の意思は、室町幕府九代将軍である義尚の諮問に応える形で兼良が書いた『樵談治要』に凝縮される。
要略すると、政子は「頼朝の政治を正し、その死後も幕府を管領し、後鳥羽上皇の挙兵で幕府が窮地に立った承久の乱の際には義時がその仰せを受けて難局を乗り切った」と称えられる。
また、『樵談治要』には、政子が『貞観政要』を手引きに政治を行ったと記す。
その一方、「御成敗式目」(鎌倉幕府の法令)の注釈本の一つには、女性で二位の官位にまで昇進した政子と比較して、〈浄土寺殿東山寺御台(富子)が一位になったのは古今未曾有希代のこと〉などと記載されている。
このように、世間も二人を重ね合わせていたのである。
日野富子という女性政治家の出現が二五〇年前の歴史上の人物を蘇らせたと言えるだろう。
●跡部蛮(あとべ・ばん)1960年、大阪府生まれ。歴史作家、歴史研究家。佛教大学大学院博士後期課程修了。戦国時代を中心に日本史の幅広い時代をテーマに著述活動、講演活動を行う。主な著作に『信長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた』『信長、秀吉、家康「捏造された歴史」』『明智光秀は二人いた!』(いずれも双葉社)などがある。