パンチ「僕は、江藤、前田、金本(知憲)と二軍で一緒にやっていたんだよ。ある日、前田がいなくなってさ、“熊本に帰る”といい出した。“オレより下手なやつがどうして一軍なんだ”って。前田は当時18、19歳。山本浩二監督が呼び止めて一軍に昇格させたの。その代わり“結果を出せ”ということになり、見事、結果を出したんだ」

久保「そうなんですねぇ」

パンチ「その頃は、江藤がキャッチャーからサードに転向した直後。笑えたのは、キャッチングの癖でゴロは右膝をついて捕る。内野のグラブさばきをコーチとつきっきりで練習をしていたね。あと、金本君はマッチ棒みたいに細くてさ、頭も丸くて。炎天下の神戸第2球場で、三塁ベンチからライトまで全力で走るというのが印象的だったね」

●江藤、前田、金本選手…スタープレイヤーの意外な話

青井「スゴイ面子ですねえ…。なかなか聞くことができない話です!」

パンチ「当時、カープはユニフォームを自分で洗ってたんだよね。クリーニングに出せないの」

青井 「マジっすか?」

パンチ「かわいそうだったなあ。そういう球団だったねえ。正田さんや大先輩方の伝統で、夜中にマシンの取り合いするくらい練習する。ホントに、よく練習する球団だっただけに余計、ユニフォームの手洗いはインパクトがあったなあ」

久保「へえ~」

パンチ「ところで、Kさん(広島で活躍した偉大な選手)の赤いスポーツカー事件、知ってる?」

青井「えっ? 何のことです?」

パンチ「H高校からカープに入団。Kさんは、赤いシャツ着て赤いスポーツカーに乗って遊び回っていたんだよ。そうしたら、事故っちゃってね。当時の根本(陸夫・故人)管理部長が免許を取り上げてさ、“お前の暴れるところはここ(警察沙汰)じゃないだろ!”とかいって。その後、Kさんは某賞を受賞。国民的名選手になった」

青井「ヤンチャな人が多かったんですかね?」

パンチ「そう、広島にはTさんという名物キャラクターがいた。詳しくは次回に話しそう。やっぱり“野球が一番!”だね」

パンチ佐藤(ぱんち・さとう)プロフィール

1964年12月3日生まれ
亜細亜大学から熊谷組を経て、オリックスにドラフト1位で入団。プロ野球時代、トレードマークのパンチパーマと独特な発言で人気者に。引退後はタレントとしても活躍し、2015年シーズンからBCリーグ『武蔵ヒートベアーズ』の宣伝本部長に就任した。

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