■1%でも可能性があるなら諦めない!

 しかし、17歳からじん帯断裂や半月版損傷など、ヒザのケガに悩まされるようになる。拓殖大学に進学すると、練習することもままならなくなり、手術やリハビリのため病院にいる時間のほうが長くなった。結局、ケガを克服して現役復帰しても5年間は勝利から見放された。月井は「勝てなかった期間は毎年手術していました」と打ち明ける。

「なぜ、私だけこんなにしんどい思いをしなければいけないのか」

 自分と競い合った選手の活躍を尻目に、月井は「勝てないな」と迷い、「退学届を用意したこともあった」と思い返す。

 ただ、そこは人一倍負けず嫌いな性格。周囲からは「無謀」と言われながら、大学3年から教職をとり、社会の教員免許を取得する。「1%でも可能性があるなら、やってみようと思ったんですよ」
 大学を卒業後、月井は関西にある母校・東大阪大敬愛高の教壇に立つ。地理、歴史、公民を教える一方で、自ら社会情勢や貧困について学んだ。2016年8月、東京オリンピックで空手が正式種目になることが発表されると、月井は決意を固めた。

「自分のルーツを知れば知るほど、私の体にはもうひとつの祖国であるフィリピンの血が流れていることを強く感じました。そこでフィリピン代表として、オリンピックを目指そうと思いました」

 月井は生まれながらにして日本とフィリピン国籍を持つ。思い立ったら、行動は早い。2017年、フィリピン代表のセレクションとして行われた大会に出場し、フィリピンのナショナルチーム入りを果たした。

 現地入りしてから独学で英語を学び、日常会話程度なら困らないほど上達した。現地のタガログ語も母親から習っていたおかげで、読みや書きは問題ない。「でも、しゃべるのはヘタクソ(苦笑)。タガログ語で聞かれたら、英語で返しています」

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