■想像以上に過酷な国だったフィリピン
フィリピンに腰を落ち着けた月井の目に真っ先に飛び込んできたのは、想像を遥かに越える貧困だった。
「映画やNetflixで観ていた世界がフィリピンでは普通にある」
いまでは日本でも貧困は社会問題化しているが、フィリピンのそれはレベルが違っていた。月井は、ジープという乗合いバスの例を引き合いに出した。
「運転手の賃金は日本円で1日1000円程度。そこで運転手たちはよく『賃金を上げろ』とストライキを起こす。ジープがそうなったら、タクシーなど他の公共交通も全部止まってしまうので、練習にも行けない」
日本とは異なる治安の悪さも経験した。
「夜中に1~2回程度ですけど、バーンという銃声を聞きました」
日本では想像もつかないような火事も目の当たりにした。「スラム街で使われるガスは簡易的なものなので、ひとつのエリア全部でつながっていることが多い。なので、どこかで爆発事故が起こると、その一帯に延焼する。そんな感じで私が住んでいる地域の隣町も全焼したと聞きました」
フィリピンでは冷蔵庫の横に貼った栄養のチャート表を見ながら、自炊生活を送っていた。フィリピン料理では“ティノーラ”というスープがお気に入りだ。
「味はいたってシンプル。鶏ガラスープとニンニクがベースで、鶏肉や青パパイヤやほうれん草を煮たものです。減量にもいいんですよ。ただ、日本とは土が違っているようで、野菜も日本のような甘さはない。お米は日本米を買ったり、日本から戻る時にキャリアーに入れて持っていったりしていましたね」
競技によって待遇は異なるが、日本の代表チームのメンバーともなれば、専属のコーチやトレーナーとともに栄養士もつく。対照的にフィリピンのナショナルチームには何ひとつ用意されていない。自分たちのことは自分たちでやらなければならない。キャリアに勝る月井が現地の選手たちの指導者を買って出ることも珍しくない。