■石田は東大合格率の高い世代に入学していた

 ちなみに、石田の世代は「安田講堂事件」を筆頭に学園紛争が起きていた時代だったが青山も例に漏れずバリケード封鎖など運動が行われていた。この思い出を石田は、

《僕は、これを大変貴重な経験だったと思っています。単にテストの点数を取るためだけの勉強ではなく、表面や結果だけにとらわれずに本質や背景をきっちり考え抜こうということを学んだからです。

 確か、僕の同級生は東大にストレートで38名合格しています。後にも先にもこの数は最高だと聞きます。この方法で結果もきちんと出ているのです。

 このとき、自主授業になったからといって、学校には来ないで早々に塾へ通っていたヤツもいました。でも、そういうヤツに限って案外第一志望に落ちたりしました。》

《結果だけを教わるのではなく、それに至る過程や原因を考えてみる、ゆとりや詰め込み教育という以前に、立体的な、ストーリーのある、骨太な勉強をしていました。

 青山高校にいる連中は、いわゆるノンポリで、いい大学に入って、いい会社に入れればいい、成績さえよければそれでいいっていう、鼻持ちならない連中ばかりでした(笑)。それが自主授業により勉強の楽しさを知りました。》

 と08年に『東洋経済オンライン』で語っていた。東大の合格率で見て、歴代でも特に頭脳明晰だった世代に入学できた石田の運の強さがよく分かるエピソードだ。

「その後、石田さんは早稲田大学を中退して21歳でアメリカの演劇学校で2年間演劇を学ぶのですが、ここではちょっとした自慢話も出ました」(前出の専門誌記者)

 親には反対されたものの、「演劇とか演出とかって、正直センスがあるとか才能があるとか、わからない」と挑戦を決めた石田は、英会話については、父親の仕事の都合で幼少期にアメリカに住んでいたため「発音が向こうの人とまったく一緒」と自慢げに語っていたのだ。

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