■本土復帰50年記念なのに垂れ幕だけ&“なんくるないさ”の誤解を危惧

 前述のとおり、『ちむどんどん』は本土復帰50年を記念して製作された朝ドラ。黒島演じるヒロイン・暢子は、作中の1972年5月15日、まさに本土復帰の当日に上京し、車体に「祝 本土復帰」という垂れ幕がかかったバスに乗って故郷の沖縄から旅立つ。

「どうなるのだろうか、とワクワクしながら朝ドラを見ていましたが、本土復帰50周年記念と銘打たれ、宣伝でもそれを打ち出してきた作品にしては、その垂れ幕1枚以外に本土復帰に関する描写がなかった。あまりにあっさりしている、と拍子抜けしました」(前出の沖縄出身の20代男性)

 また、史実では本土復帰した1972年5月15日の沖縄の天気は雨だった。しかし、『ちむどんどん』の作中では晴れていた。気象庁の記録では、1972年5月11日ごろに沖縄が梅雨入りしたことが残されている。

 また『ちむどんどん』第1話で、大森南朋(50)演じる暢子ら家族の父、賢三は幼い暢子に「暢子は暢子のままで上等。自分の信じた道を行け。まくとぅそーけーなんくるないさ。正しいと信じて筋を通せば、答えは必ず見つかるからよ」と言って聞かせる。

「まくとぅーそーけーなんくるないさ」とは、人として正しいことをしていれば、自然となんとかなる、といった意味合いの沖縄の言葉だ。第6話で賢三が急死して以降、比嘉家の家計はより追い詰められ、借金の描写がひんぱんに挿入される。

「沖縄人の気質を表現する際に引き合いに出される“なんくるないさ”は、大森演じる父の賢三が言ったような意味合いです。しかし、比嘉家は借金を抱えているにもかかわらず、竜星涼(29)演じる兄の賢秀は働かず、仲間由紀恵(42)演じるきょうだいの母・優子はそれを許す。

 そういう流れを何度も見ていると、どこまでいっても家族で助け合えばなんとかなる、というような、ただただ楽観的な家族にしか見えない。それは沖縄の本来の“なんくるないさ”精神ではないので、そうした描き方は違う、誤解を招いてしまうのではないか、と思いました」(前同)

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