■極貧時代を支えてもらった上島竜兵

 そんな有吉といえば、5月10日に亡くなった上島竜兵さんを慕っていたが、〈竜さんと飲みにいけば、「タクシー代ください!」とか、もっとストレートに「2万円ください!」とか、そこはもう恥も外聞もなく小遣いせびってましたから〉と、地獄の極貧時代を支えてもらっていたようだ。

 また、この頃から金をとにかく使わないようにしていた有吉。テレビ局関係者が語る。

「有吉さんは本当に、ぜいたくをしない。再ブレイク後、年収は億を超えていたのに、愛車はしばらく、けっして高くないホンダのオデッセイでした」

 以降も無駄遣いをしないスタンスは徹底しており、「有吉さんを撮影するため、ホテルを用意したんです。ところが有吉さんは、“そんなことに高い金を使うのはアホらしい。俺は便所でも路上でも、どこでも着替えるから!”と言って、本当に狭いところで着替え始めたんです」(出版関係者)

 売れてからも、偉ぶらない有吉の“人間力”が、再ブレイクの要因でもあるようだ。芸能レポーターの城下尊之氏が、こう語る。

「有吉が再ブレイクしたきっかけは、2007年に『アメトーーク!』(テレビ朝日系)で、『品川庄司』の品川祐に“おしゃべりクソ野郎”と、あだ名をつけたこと。これが、視聴者の共感と同意を得られたんです」

 この“視聴者目線”というのは、有吉にとって大きな武器だという。

「たとえば、彼はMCのときでも、VTRがつまらないと、“よく分かんなかったね”と、視聴者も感じたであろう意見をそのまま言う。視聴者の共感を得られるアドリブができる」(前同)

■蛭子能収をどう料理するかで芸人の腕が試される

 毒舌も彼の真骨頂だが、言われた側が損をするケースはほぼない。以前から頻繁に番組で共演し、ときには厳しいツッコミを受けていた蛭子能収も、その一人。

「蛭子さんは、“有吉さんのツッコミは愛があるので、全然、嫌じゃない”と言っていました。かつて笑福亭鶴瓶さんが、“蛭子さんを、どう料理するかで芸人の腕が試される”と話していましたが、その点、有吉さんの腕は天下一品でしょう」(芸能プロ関係者)

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