播田安弘(撮影・弦巻勝)
播田安弘(撮影・弦巻勝)

 父が造船所を経営し、母の実家が江戸時代から続く船大工「播磨屋」の棟梁だった影響もあり、子どもの頃から船が好きでした。船を描いたり、木を削って模型を作ったり勉強もせずに遊んでばかりいました(笑)。

 徳島県の工業高校造船科を経て、1961年に、岡山県にある三井造船の玉野造船所に入社しました。ラッキーだったのは、面接時に軍艦が好きと言ったら、船舶全体の基本設計を担当する部署に配属されたことですね。誰もが自分の希望通りに行くわけではありませんから。

 さらに、1965年に所属部署が東京の本社に移転してからは、会社を早退し、代々木の専門学校に通い、アメリカから導入されたばかりで、個人的に興味があった工業デザインを2年間みっちり学びました。これも上司が許してくれたからこそ実現したんですが、そのおかげで設計者としての基礎が培われましたし、今もなお生かされています。

 2011年に退職するまで、大型船や小型船、特殊船など、数多くの船の開発に携わってきました。その中で特に印象に残っている船の一つが、半潜水型水中展望船です。

 それまではいわゆるグラスボートで、船底にある窓の下しか見えなかったんです。そこで、潜水している部分の側部に窓を設置し、窓が損傷しても沈没しないように両側部に巨大な浮力タンクを設けたんです。席に座りながら正面に海底がパーッと見渡せて、サンゴや魚などもよく見えるので、私も初めて乗ったときは「海底って、こんなにきれいなのか!?」と感動しました。実際に国内外での評価も高く、合計で26隻売れるほどの大ヒットを記録して、会社から特別褒章をもらえました。設計した甲斐があったというものです。

 その他、浦賀の渡し船のデザインコンペでも優勝して建造、さらには東海大学海洋学部の非常勤講師時代には日本初の水陸バスの船舶部分を開発しました。こうした新しい物をいくつも生み出していくことは本当に面白いですね。もちろん手間も時間もかかって大変ですが、まったく苦になりません。それもすべて、とにかく船が好きだから。理屈とかそういうことではないんですよね。

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