■キャロルは社会現象になるほどの人気バンドに

 川崎の楽器店にバンドメンバー募集の貼り紙を出した矢沢。それを見て電話をかけてきたのが、キャロルのメンバーとなるジョニー大倉(故人)と内海利勝(69)だった。

「キャロルは社会現象になるほどの人気バンドに成長しましたが、ジョニー大倉のドラッグ問題などもあってメンバー間に軋轢が生まれ、あえなく解散。実質3年足らずの活動でした」(前出の業界関係者)

 キャロルの幕引きも、伝説になっている。

「75年に日比谷野外音楽堂で行われた解散コンサートでは、特殊効果の爆竹の火がセットに燃え移り、“CAROL”と書かれた電飾が崩れ落ちるというアクシデントがあったんです。しかし、観客はキャロルが燃え尽きたことを暗示する演出だと思って、大興奮したんです」(前同)

 このラストはロック史に残る名シーンとして語り継がれ、日比谷野音が「ロックの聖地」と呼ばれるきっかけにもなった。

■日本人ロック・ソロアーティストとして初!武道館単独公演を実現

 キャロル解散後、矢沢は単身渡米し、ロサンゼルスでレコーディングした『アイ・ラヴ・ユー、OK』をひっさげてソロデビュー。

 キャロル時代のイメージを払拭すべく、バラードを中心とした新たなカラーを打ち出したが、最初はさんざんな評価だった。

「しかし、77年には、日本人ロック・ソロアーティストとして初となる武道館単独公演を実現します。日比谷野音同様、武道館が“ロックの殿堂”となったのも、矢沢の功績なんです」(前出の浅野氏)

 その後、全国ツアーの締めくくりが毎年、武道館で開催されるようになり、矢沢は146回という武道館最多公演記録を樹立。「初」と「最多」の同時受賞、矢沢以外は不可能だろう。

 今回のツアー「MY WAY」に武道館公演は含まれていないが、2019年に竣工した国立競技場でライブを行う。これは有観客公演として史上初のことで、またもや矢沢が「初」記録に名を刻むのだ。

 日本のロックのパイオニアである矢沢は、「初」という記録がとにかく多い。

■長者番付歌手部門で1位に

「78年には長者番付歌手部門で1位を獲得。これもロックミュージシャンとしては初の快挙でした。さらに80年、82年にも長者番付歌手部門第1位を獲得。当時、“ロックミュージシャンは食えない職業”というレッテルが貼られていたんですが、矢沢がビッグになることで、そのイメージは一新されましたね」(前同)

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5