■視聴者人気も高い和田義盛の悲劇が間もなく迫っている

 まず、畠山重忠の乱・牧氏事件の8年後、1213年に起きる『和田合戦』で、勇猛で裏表のない性格の剛の者として描かれてきた和田義盛だ。演じる横田栄司(50)に「気は優しくて力持ち、みんなから愛される西郷さんみたいなまっすぐな男。でも抜けているところがあるイジられキャラ」と評される、視聴者にとっての愛されキャラに悲劇が訪れる。

 義時は2代執権となってから、有力な御家人であった和田義盛を何度も挑発する行動に出る。そして、両者の対立が先鋭化していった結果、義盛は最終的に挙兵を決意。

「上(将軍家)には何の恨みもございません。相州(義時)のあまりの傍若無人に我慢ならず、仔細を質すべく、出向こうとしているのです」

 と、挙兵の前に将軍・実朝に手紙を送ったとも言われている。

 しかし、義盛は最も頼りにしていた三浦義村(山本耕史)に裏切られてしまい、謀反が義時に発覚。1213年5月2日から3日まで鎌倉で奮戦しつづけたものの、追い詰められ討ち死にしている。享年67だったと伝わる。

■「雪の日は出歩くな」の伏線回収が待ち受けている実朝

「次に、1218年3月には、市原隼人さん(35)が演じている八田知家が死亡します。北関東を治める御家人で、北条義時(小栗)との関係も良好。視聴者の間でも寡黙でいつも着物の胸元を大きくはだけさせて分厚い胸板を強調し、なぜか濡れている肉体派イケメンとして人気を博していますが、どんな経緯で死亡するのかは歴史上の資料が少なく不明です。

 特に戦や大事件はなく、御家人と対立していた話もないため、病死か老衰だったのではないかと推察されています。あの時代にしては享年76と長命でしたが、市原さんの肉体美だと説得力がありますね(笑)」

 その翌年は血生臭い。日本史上でも有数の陰惨な殺人事件が発生する。鎌倉幕府三代将軍・源頼朝が暗殺されるのだ。

 1219年の1月27日、柿澤勇人演じる源実朝は鶴岡八幡宮で行われた右大臣拝賀の式に出席したが、自身の甥で公暁(寛一郎/26)の手で斬殺されてしまうのだ。このとき、太刀持ち役を務めていた源仲章(生田斗真/37)もともに殺されている。実朝の享年は26だった。

 実朝の兄で、二代将軍だった源頼家の実子だった公暁は、「親の仇はかく討つぞ!」と叫びながら実朝を襲ったとも言われており、また自身の将軍就任を狙っていたともされる。実朝の首を持ち去った公暁だが、その日のうちに追手に討たれている。こうして、源頼朝から始まった源氏の将軍は三代で終わることになった。

 この暗殺事件が起きた日は、朝から大雪だったが、『鎌倉殿』では第35話で伏線があった。老いた歩き巫女(大竹しのぶ)が、お忍びで和田義盛に同行して占いを受けた実朝に対し「雪の日。雪の日は出歩くな。災いが待っている」と警告していたのだ。もっとも、この警告は義盛が「雪の日は滑るからだいたいみな出歩かないほうがいいんだよ」と流してしまったが……。

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