■三谷が「ラスボス説」を唱えている三浦義村はどうなるのか

「ちなみに演者の柿澤さんは、実年齢は34歳ですが実朝の享年は26。畠山重忠の乱・牧氏事件の時点では、実はまだ14歳なんです。もっとも、『鎌倉殿』は年齢描写はリアリティを無視していて、第1話の時点で、義時と義村は8歳にも満たないはずなのを小栗旬さんと山本耕史さんがそのまま演じているほか、10歳の北条泰時を30歳の坂口健太郎さんにそのまま演じさせて“成長著しい金剛”とテロップでゴリ押しする、ある種のギャグシーンもありました」

 最後に、1話からずっと出演し、脚本の三谷幸喜が6月27日に公開されたインタビューで《最後の最後に三浦義村は大博打を打とうと考えていて、もしかしたらラスボス的な意味合いで物語に関わってくるかもしれないです》としている三浦義村は、どうなるのだろうか?

「義時は、寿命という意味では、1224年に61歳で世を去った(※毒殺説と自然死説がある)義時、1225年に68歳で病で亡くなった北条政子より後の1239年、現代的に言えば脳卒中の後遺症によって71歳で世を去っています。『鎌倉殿』のメインどころとしては、最も長生きした人物ですよね。

 くわえて、『承久の乱』や、その後の行く末を考えると“義村ラスボス説”の方向性が、朧気ながら見えてきます」

■義村は安定した地位に巧みに収まった、という事実がある

 1221年の『承久の乱』で、義村は京都で検非違使を務めていた弟の三浦胤義(岸田タツヤ)から朝廷に味方するよう誘いを受けるも一蹴。鎌倉幕府側について勝利に貢献。乱が終息した後の戦後処理などを、実にしたたかに行った。

 義時や政子の没後の1225年には、義時の長男である泰時 (坂口健太郎)が三代執権になったが、そこでは合議制の政治を行うための評定衆が設置され、義村は宿老としてこれに就任。幕府内の地位が北条氏に次ぐものになったのである。

「つまり、執権としての天下は北条氏が握りましたが、その後安定した立ち位置で長く生き残れる場所を確保した、ということです。もしかすると三谷さんはこうした史実をうまくアレンジして、大笑いする義時の陰で最後にほくそ笑む義村……という構図を考えているのかもしれませんね」

 いよいよ物語も最終クールに突入した『鎌倉殿の13人』。推しキャラのロスに耐えつつ、最後まで見届けたいー-。

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