■邸宅跡から木簡発見でそれまでの状況が一変

 ところが、昭和六三年(1988)に長屋王邸跡から大量の木簡(短冊状の木片で紙の代用品)が発見され、そこに「長屋親王」と書かれたものがあったことから状況は一変した。『続日本紀』には「王」と記載されているものの、彼が親王なら即位することができる。藤原氏が、より長屋王を警戒する根拠になるとともに、逆に彼が藤原氏の野望を打ち砕き、即位しようとしたとも考えられる。

 当時は「国家=天皇」だから、『続日本紀』がいう「国家を傾けようとした」という箇所を「長屋王が天皇になろうとした」と解釈すれば、謀叛の罪は濡れ衣といえなくなる。

 さらに発掘された木簡から、長屋王が呪術を行っていた可能性が浮上してきた。『続日本紀』がいう

「左道」というのは呪術を指す。

 以上のことから、長屋王が天皇になろうとした企てを武智麻呂らの藤原兄弟が阻んだ、という解釈も成り立つように思える。

 その一方で、武智麻呂らの藤原一族にとって、長屋王が光明皇后誕生の障害であった事実に変わりはない。

 木簡には「長屋親王」の他、従来通りの「長屋王」や「長屋皇子」などと記述の統一が見られず、今では彼が親王だったという話そのものが疑われている。

 また、呪術にしても、みだりに人を欺くようなものでなければ罪とはいえない。おそらく長屋王が呪術に興味を示していたことから、それをうまく利用し、通説通り藤原氏が彼を罠にかけたというのが真相だろう。

跡部蛮(あとべ・ばん)1960年、大阪府生まれ。歴史作家、歴史研究家。佛教大学大学院博士後期課程修了。戦国時代を中心に日本史の幅広い時代をテーマに著述活動、講演活動を行う。主な著作に『信長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた』『信長、秀吉、家康「捏造された歴史」』『明智光秀は二人いた!』(いずれも双葉社)などがある。

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