これまで数多くの有力馬が跳ね返されてきた「凱旋門賞」という高い壁。今年も、ドウデュース、タイトルホルダー、ディープボンドなど4頭の日本馬が出走を予定している。

 10月2日に迫った本番に向け、本誌連載『勝負師の作法』でおなじみ、武豊(53)騎手にインタビュー。日本競馬界の悲願達成の瞬間は訪れるか。

 武豊騎手が“世界最高峰のレース”と称される「凱旋門賞」に夢をはせたのは、「茶道の授業以外、いい思い出はほとんどない」と語る、イガグリ頭だった競馬学校時代のときだった。

「今と違い、インターネットのない時代だったので、学校に置いてある競馬雑誌やレースのビデオを見ながら、エビちゃん(蛯名正義現調教師)と、“いつか、俺たちも出てみたいよな”と話していました」(武豊=以下同)

■夢が現実に

 夢が現実のものとなったのは、デビュー8年目の1994年。社台レースホースの代表である吉田照哉氏から直接、ホワイトマズルの騎乗依頼を受けた。

「最初に依頼をいただいたときは、“えっ!? 本当に僕でいいんですか?”という感じでした」

 結果は6着。それは苦い思い出として、今でも彼の胸に残っている。

「経験不足と未熟さを痛感させられるレースでしたね。パドックで、たくさんのカメラマンに囲まれ、あっという間に騎乗の合図がかかり、調教師の先生と最終的な打ち合わせもできないまま、ゲートが開いて……。マスコミにも酷評されたし、実力不足を痛感させられる内容でした」

 自他ともに認める大惨敗。しかし、その結果は同時に、武豊の心に火をつけた。

「毎年、このレースに騎乗依頼をいただけるような騎手になりたいと思うようになりました」

 欧州の名門であるA・ファーブル厩舎から、サガシティでの騎乗依頼が舞い込んだのは、フランスに拠点を移した1年目、01年のことだ。

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