■世界の名手を相手にユタカマジック炸裂

「騎乗依頼をいただいたのは、本番1週間前でした。諦めかけていたところに、あのファーブル厩舎からの依頼ですからね。こんなことって本当にあるんだ、と思いましたね」

 出走頭数は17頭。O・ペリエ、C・スミヨン、L・デットーリ……。名だたるジョッキーが顔をそろえた中で、武豊は「YUTAKA TAKE」の名前を世界に刻み込んだ。

「結果は3着でしたが、僕にチャンスをくれたオーナーや調教師の先生が、手放しで喜んでくれて。地元の新聞に、“上位陣はほぼ人気通りに走った中で、YUTAKAのサガシティだけが番狂わせだった。彼じゃなかったら、サガシティが3着になることはなかったかもしれない”と絶賛していただいたことは、大きな自信になりました」

 夢は手の届くところまできた。武豊はこのとき、確かな手応えを感じた。

■ディープインパクトで挑むも

 しかし、“今度こそ!”とディープインパクトとともに臨んだ06年のレースで、その思いは無残にも打ち砕かれた。

「今でもときどき、夢に見るんです、あのレースのことを。なぜ勝てなかったのか。なぜ勝たせてあげられなかったのか。いくら考えても答えは出ないんですけど、考えちゃうんです」

 08年メイショウサムソン、10年ヴィクトワールピサ、13年キズナ、18年クリンチャー、19年ソフトライト、21年はA・オブライエン厩舎のブルームで挑んだが、いまだ夢には届いていない。

「純粋に馬の能力だけを見ると、日本馬も十分に通用する力はあります。あとはヨーロッパのタフな芝への対応力と、もう一つ。“運”かなと思います」

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