■「裕次郎の兄です」に隠された秘めた思い

 政界でも、一時代を築いた大物たちが鬼籍に入った。

 2月1日、国会議員として、また東京都知事として暴れた石原慎太郎さん(享年89)が、この世を去った。

「一橋大学在学中に『太陽の季節』で芥川賞を受賞し、華々しい文壇デビューを飾った。一方、政界でも68年、参院選に初当選すると、73年に反共を訴える『青嵐会』を結成し、保守政治家としても存在感を発揮しました」(全国紙政治部記者)

 その石原さんが遺した名言の一つが、「俺が死んだら日本は退屈になるぞ」。

 政治評論家の有馬晴海氏は、この言葉に石原節の真髄が見えると指摘する。

「石原さんは誰にも媚を売らず、怯まない人でした。いつも、自分の経験や勉強したことを踏まえ、その時点で思ったことを率直に口にしていた。俺は思ったことを言うし、やるよと。自分の言動をマスコミが騒ぎ立て、世間は驚く、そんな自負の集大成的な言葉ですね」

 また、石原さんは演説などの際、「裕次郎の兄です」とよく口にしたが、国民的スターだった弟には兄として譲れぬ気持ちがあった。

「自分は弟の裕次郎さんより才能があって、いい男だと思っていたんです。自らの作品を映画化して弟を売り出したわけですから、“俺のおかげ”という気持ちもありましたね」(前同)

 この弟と張り合ってしまう、人間くさい素顔があったからこそ、石原さんは政治家として成功したのだろう。

■元総理大臣・安倍晋三の信念

 同じ保守の大物で、元総理大臣の安倍晋三さん(享年67)は、7月8日、参院選の応援演説中、凶弾に倒れ、帰らぬ人となった。

「祖父に岸信介、父に安倍晋太郎を持つ3世議員ですが、単なる“ボンボン”ではない。それが垣間見える言葉が、“父の遺志を継ぎ、父が成し得なかったことを何としてもやり遂げたい”です」(前出の政治部記者)

 父・晋太郎氏は、自民党内で次期首相を確実視されながら、91年、病により死去している。その父の無念を引き継ぎ、2度も総理大臣の任を務めた。

「ただ、安倍さんにとっては憲法改正こそが政治テーマでした。それはお父さんではなく、岸信介さんが最もやりたかったこと。安倍さんが一度失敗した後、総理大臣にもう一度になろうとしたのは、憲法改正を実現するため。そのためにはまず経済を良くしようと、アベノミクスをやったわけです」(有馬氏)

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