■呪術を禁止する朝廷の監視網に引っかかった

 さらに『続日本紀』は小角について「役君小角」と記し、賀茂一族の者に朝廷が「役君」の姓(称号)を与えたという記述もあるので、小角が賀茂一族であったのは事実。

 さて、その賀茂一族出身の役君小角は『続日本紀』に「はじめ葛木(城)山に住みて呪術をもって褒めらる」とあり、当時から彼の呪術力は評価されていたようだ。

 また、「小角よく鬼神を役使(使役)して、水を汲み、薪を採らしむ。もし、命を用いずば、たちまち呪をもって縛る」とも記され、すでに鬼を操るという小角の人物像が出来上がっていたのだ。その後、彼の異能ぶりが広まり、山と山に岩橋を架ける話などに飛躍して『日本霊異記』に収められたのだろう。

 それでは『続日本紀』の段階で、なぜ小角が鬼を操るという風聞ができていたのか。小角が人である以上、鬼を操るとは考え難い。当時の朝廷は呪術的な行為によって僧が人々を惑わすことを禁じていた。

 しかし、小角は役優婆塞と呼ばれる通り、国家によって認められた僧ではなかった。朝廷は特に民間の優婆塞らの行動を警戒していたから、評判の高かった小角がその監視網に引っかかったのではないだろうか。そうして讒言という形を取って配流された疑いがないでもない。

 つまり、小角にまったく呪術的な能力がなかったとはいえないまでも、朝廷が彼に実像以上の能力を着せて摘発したという疑惑だ。

 だとしたら、皮肉にもそのことが後に修験道の祖と称えられる「超能力者役小角」を生む要因になったといえる。

跡部蛮(あとべ・ばん)1960年、大阪府生まれ。歴史作家、歴史研究家。佛教大学大学院博士後期課程修了。戦国時代を中心に日本史の幅広い時代をテーマに著述活動、講演活動を行う。主な著作に『信長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた』『信長、秀吉、家康「捏造された歴史」』『明智光秀は二人いた!』(いずれも双葉社)などがある。

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