■女優を目指した日々、スカルノ大統領との出会い

 そして、その1か月後にスカルノ大統領に出会いました。そういう意味では、今、こうして日本でテレビ出演しているのは、感慨深いものがありますね。

――そう話しながら浅丘との2ショット写真を見せてくれたデヴィ夫人。写真を見ながら、若かりし頃の記憶を振り返ってくれた。

 3年前に松屋銀座デパートで、傘寿記念として私の展覧会があったのですが、小学校の通信簿から描いた絵まで全部、茶箱に残しておいたので、担当者が大変驚いていましたね。敗戦して疎開先から戻った東京は、本当に何もありませんでした。ワタクシより背の高いペンペン草が生えていて、掘っ建て小屋が並んでいた。ちょうど今の西麻布のあたりです。“鬼畜米英”と多くの日本人が言っていた時代ですが、家の裏にアメリカ軍の駐屯所があった関係で、アメリカ兵の話す英語に憧れていました。成績が一番になるくらい、英語を勉強したんです。そして、満天の星空を見ながら、“いつか世界に飛び出して、歴史に名を残すような有名人になる”と、夢見ていました。

――まさに有言実行。幼少の頃の夢を実現した形だが、デヴィ夫人は笑顔で遮り、こう話す。

 とてもイメージ通りとは言えない波乱万丈の人生でしたよ(笑)。スカルノ大統領との出会いから始まり、こういう人生を歩んだのは私の運命。少女時代に英語を学んだことが、大統領との縁を引き寄せたんだと思います。だからこそ、チャレンジ精神を失ってしまうと、人はダメになってしまうと思うんです。どこかで諦めていたら、ワタクシは今、こうしていられなかったはずですから。

■プーチン大統領は許せない!

 そんなデヴィ夫人は、1月下旬にロシアの侵攻を受けるウクライナを訪問し、注目を集めた。その行動力の源は、いったい何だったのか。

――昨年2月にロシアが侵攻してから、腹が立って眠れなくなりました。動物愛護や、難民の問題、私がチャリティに精を出すのも、すべて怒りからきているんです。今回のプーチン大統領の蛮行で、ワタクシの怒りの針は振り切れました。

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