「にほん」か「にっぽん」か――⁉国名「日本」誕生するまでの舞台裏の画像
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「日本」は言うまでもなく、我々が住む国の名称。国名や国号と呼ばれる。日常的に頻繁に使う言葉だが、読み方は

「にほん」なのか「にっぽん」なのか。そもそも、いつ「日本」という国名が誕生したのか。よくよく考えてみると、分からないことだらけだ。

 今回は、この知っているようで知らない「日本」という国名の謎を探ってみよう。

●正式に「日本」を国名としたのは西暦何年?

 その答えは西暦701年。意外にはっきりしている。この国の古代の基本法令である養老令に〈御宇日本天皇詔〉という表現がある。意訳すると「日本天皇が天下を治めるために詔を発する」という意味になるだろうか。天皇が治める国を「日本」と称すると宣言した形だ。

 この養老令は養老二年(718)に編纂されたとされ、この国初の基本法令である大宝令を一部改めたものだ。その大宝令は残っておらず、注釈書に「古記」(大宝令のこと)として引用されているだけだが、「日本天皇」のくだりはその古記に記載されており、したがって大宝令が制定された年(701)から「日本」という国名が天皇の詔書に使用されるようになったと考えられている。つまり、正式に国名が大宝令という法律によって定められたわけだ。

●一般的に、この国を「日本」と呼ぶようになったのは、いつか?

 既述の通り「日本」を正式に国名にすると宣言したのは西暦701年だが、当然のことながら、その前から、この国を「日本」と称していたはず。『日本書紀』に引用される当時の公文書などから、古代の人たちは我々の国土を「大八州(おおやしま)」、国名を「大和(やまと)」「扶桑(ふそう)」としていた事実が垣間見える。

 ちなみに、「大八州」というのは、イザナギとイザナミの男女二神による国生み神話に登場する八つの島(淡路、伊予=四国、隠岐、筑紫=九州、壱岐、対馬、佐渡、秋津島=本州)のこと。

 一方、『日本書紀』の注釈書などによると、国名の「大和」については、現在の奈良県を大和国と称していたものの、神武天皇の東征が成功して、そこに本拠を定めたため、全国の呼称になったとする。

 また、「扶桑」というのは、中国から見た東海の中にある神木のこと。

 それではいつ、「大和」や「扶桑」の国名を「日本」へ改めたのだろうか。これには諸説あり、主なものをまとめるとこうなる。

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