■栗山英樹監督“不退転の決意”
当時、チームを率いていたのが、プロ野球界では異色の国立東京学芸大で学んだ知性派・栗山英樹監督(62)だったことも奏功した。
「栗山監督は、先のドキュメンタリー映画でも、“5年でアメリカに行かせられなかったら我々の負け”と、不退転の決意で迎え入れたことを明かしています。
もし、日ハムの監督が彼でなければ、今につながる二刀流も、単なる口説き文句で終わった可能性さえあったでしょう」(前同)
■大リーグの名将、マイク・ソーシアとジョー・マドン
高校当時のマンダラチャート(目標達成シート)の大項目に「運」と書き込んでいた大谷だが、“幸運な出会い”は渡米後も続いているという。
大リーグ評論家の福島良一氏は、大リーグを代表する2人の名将、マイク・ソーシアとジョー・マドンの名を挙げて、こう語る。
「二刀流に対して懐疑的な見方も少なくなかった中で、彼の意向を最大限に汲んで、環境とチャンスを与えたのが、エンゼルスのソーシア監督でした」
渡米1年目のオープン戦では、なかなか結果が出せずに、当の大谷自身も苦しんでいた。
「それでも、ソーシアは彼を投打で起用し続けた。当時の監督が彼だったということは、大谷自身にとっても、エンゼルスを選んだ大きな決め手の一つだったと思われます」(前同)
後任となったマドン監督も、そのソーシアに負けず劣らぬ実績の持ち主である。
2008年にはレイズを創設初のリーグ優勝。16年には古豪カブスで、108年ぶりのワールドシリーズ制覇も成し遂げている。
「マドン監督は、試合でも常識にとらわれない多彩な戦術を数々、駆使してきた独創性に富んだ人物です。
コーチだった80年代、MLBとNFLの“二刀流”で活躍するボー・ジャクソンを見て、“あれだけの才能があれば、投打の二刀流もできる”と、その実現可能性に言及していたほどですから、先見の明は折り紙つきと言えます」(同)
一方、選手として投打の“師”と言えるのが、ドキュメンタリー映画でナレーションも務めた日米のレジェンド、松井秀喜(49)とペドロ・マルティネス(52)だ。前出の愛甲氏が解説する。
■“強く振る”天才・松井秀喜
「松井には大谷ほどの器用さはなかったけど、強く振るということにかけては、彼も、やっぱり天才的だったからね。
しかも大谷が野球を始めた小学生当時が、ちょうど松井の全盛期。同じ左打者として、間違いなく憧れもあっただろうね」
実際、その松井が初のMVPに輝いた09年のワールドシリーズは、大谷少年もリアルタイムで観戦。
第6戦、当時、フィリーズで現役最終年を迎えていたマルティネスからの豪快弾は、当人も
「鮮明に覚えている」と語るほどだ。