■まだある!大谷翔平名言集

「岩手県が強いところを甲子園で見せたい」花巻東高校時代、2011年夏の甲子園に出場したときの言葉で、「まだ万全ではないが、甲子園で投げたい」と続く(『挑戦』)。同年3月の東日本大震災で被災した地元への思いが込められているが、大谷はケガもあって結果を出せず、チームは1回戦で帝京高校に7対8で敗れた。ただ、周囲を大切にする大谷らしさは、今も変わらない。

「思っていたよりも、もっと上の自分がいた」高校2年生の6月に練習試合で左足骨端線を損傷。投手としての活躍ができなくなったが、その分、バッティングに注力。冬くらいから飛距離が伸びるようになり、「思っていたよりも、もっと上の自分がいたので、バッティングが楽しくなってきたんです」(『SHO-TIME』)と話していた。二刀流に目覚めるきっかけは、ケガだったのだ。

「プレッシャーのかかる場面は自分が成長できるポイント」日本ハム時代の2016年9月28日、リーグ優勝へのマジック1で迎えた西武戦で、尊敬する花巻東高校の先輩、菊池雄星と投げ合った。結果、被安打1、15奪三振で見事完封し、チームを優勝に導いたときの言葉だ(『挑戦』)。試合前、栗山英樹監督には「こんな最高の舞台を用意してくれてありがとうございます」と頭も下げていた。

「気持ちで負けないボールを投げようと思っていた」2015年11月、『WBSCプレミア12』準決勝の韓国戦で登板。7回を投げて被安打1、11個の三振を奪うピッチングで韓国を無得点に抑える。後に「絶対に万が一が起きないよう、コントロールではアバウトでも、気持ちで負けないボールを投げようと思っていました」(『野球翔年1』)と振り返った。この経験が2023年のWBCにも生かされたはず。

「自信を持ってやればいいと言ってくれて、すごく励みになりました」2018年にメジャー(エンゼルス)に移籍。オープン戦では投手として出場した4試合すべてで失点、打率も1割ほどに低迷して苦しんでいたが、エンゼルスのビリー・エブラーGMに励まされて、気持ちを切り替えることができたという(『大谷翔平』)。さすがの大谷にも、周りの励ましが必要なときがあるようだ。

「僕は“今、行きたい”から行く」メジャー移籍を決めたとき、大谷はまだ23歳。25歳以下の契約金には上限があり、まだ早いという声もあったが、「“トップに上り詰めてから”というのはステキだと思いますし、格好いいとも思います。でも僕は“今、行きたい”から行く」(『道ひらく』)と強気で応じている。大谷の言動は、いつも160キロ級のストレート。

「今後のことを考えればいい経験ができた」2021年シーズン、46本の本塁打を放ちながら、2本差で本塁打王を獲得できず。その理由として、大谷に対する四球の多さが指摘されたが、「本当はもっともっとバットを振る中でゲームを楽しみたいなという気持ちもありましたけれど」という本音に続いて、こう答えた(『Number』2021年12月2日号)。どんな経験も前向きに受け止める。

「可能な限り、長時間寝ます」2021年7月のMLBオールスターで前人未踏のフル稼働。ホームランダービーに参加した翌日に、先発登板をして、おまけに1番・指名打者として打席に立った。記者たちの「どうやってエネルギーを取り戻すのか」という質問に、こう答えた後、「できることはそれだけなので」と続けるのも、睡眠に絶対的な信頼を置く大谷ならでは。

「ステップアップを目指して、ちょっとでもその基準を超えられればもっといい」2021年、日本人2人目のメジャーMVPを獲得した後、それを超えられるのかという声に対して、「同じようにやってたらできないので、ステップアップを目指して、結果、同じならいいし、ちょっとでもその基準を超えられればもっといいじゃないですか」(『Number』2022年4月14日号)。事実、23年に、このとき以上の成績でMVPを再獲得した。

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