「英雄色を好む」というが好みすぎると迷惑になる

子孫繁栄を願うのは、人間の本能といえる。また、種族保存を行なうための一過程に、飽くなき情熱を注ぎたいと考える男性は少なくない。戦国武将においてその両翼といえるのが、豊臣秀吉と大友宗麟であろう。

豊臣秀吉は主君の信長から「お前の女房が泣くから、女遊びもほどほどにしろ」とたしなめられたほどのスキもの。

天下を掌握すると、興味をもった女性がいれば、相手が未婚であれ既婚であれ、とにかく手を出しまくった。秀吉は人質として家臣の妻や家族を近くに置いていたが、美人を妻にした家臣は、遠征などで留守にするのを恐れていたという記述も残っている。

ただし秀吉の好みははっきりとしている。美人で高貴な血筋が好み。今なら「姫萌え」と陰口を叩かれそうなくらい、はっきりとしていた。

一方、大友宗麟も負けてはいない。宗麟は若い頃、城下にふらりと出ては好みの女性を求めていたという。宗麟に目をつけられた女性は身分の上下に関係なく、関係を迫られたとか。

そのスキもの心は、将軍拝謁のため京にあがったときでも変わらなかった。城下と違い京では自身の権威が大きく及ばない。そのため街で見初めた女性を強引にかっさらってモノにしていたと伝わる。しかし、そうしたご乱行の日々も、カトリックに改宗してからはパタリと止まったとか。

精力の強い秀吉と宗麟だったが、宗麟が3男6女をもうけ全員が成人したのに比べ、秀吉の子で成人したのは秀頼ひとりだけだった。


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