連載開始直前インタビュー シン、アンドレ、ハンセン、ホーガン!


ここ数年、70~80年代に熱狂を呼んだ新日本プロレス"ゴールデンタイムブーム"が続いている。"金曜8時プロレス黄金期"の同団体においては、アントニオ猪木を筆頭に長州力、藤波辰巳、タイガーマスクと、日本人スター選手が次々とスポットライトを浴びた。


彼ら日本人レスラーが敵役として迎え撃ったのが、外国人レスラーたちだった。タイガー・ジェット・シン、アンドレ・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガン……ブラウン管の向こうで暴れ回った怪物たちの姿は今も記憶に鮮明だ。

本誌では、そんな彼らを蔵出し写真と秘話で解き明かす『昭和黄金時代栄光の新日本プロレス悪役レスラー「知られざる素顔」』を次号よりスタートさせる。書き手は黄金時代の新日本マットでメインレフェリー兼外国人係を担当したミスター高橋氏。

連載開始を前に、当時を振り返るインタビューをお届けする。

「"あの試合"は、レフェリーとして2万試合以上を裁いた私にとっても生涯忘れられない特別な一戦です。アンドレとハンセンという、素晴らしいトップレスラー2人とレフェリーの私で、会場のお客さんの度肝を抜き、最高に興奮させることができたんですから」

こうミスター高橋が語る一戦とは、81年9月23日、田園コロシアムで行われたアンドレ・ザ・ジャイアント対スタン・ハンセンのシングルマッチだ。当時、新日本プロレスで絶大な人気を誇ったトップの外国人レスラーが激突。

いまだに「外国人対決史上最高のベストバウト」と語り継がれるこの試合のマットに、高橋はレフェリーとして立っていた。両者リングアウトののちの延長再試合中、高橋はアンドレのラリアットで吹っ飛ばされている。昏倒する高橋と、打ち鳴らされるゴング。

アンドレの「反則負け」裁定が下されたが、客席はド迫力バトルに興奮の坩堝(るつぼ)と化した。

「私は、レフェリーをしていた時代、ずっと体重100キロを保ち、レスラーと一緒にトレーニングして体を鍛えていました。テレビでは体の大きさがわからないのか、会場で実際に見たファンにビックリされることもありました。その私が、アンドレの一発でKOされてしまうのを見て"レスラーの力って、ものすごいんだ"と、ファンは思うわけです。ぶっ飛ばされて、反則負け、という結果に、会場の誰しもが納得したと思います」

高橋は、ユセフ・トルコに代わるレフェリーとして、72年、新日本プロレスに入団。英会話学校に通ったこともあることから、外国人レスラーの世話係兼レフェリー、後にはマッチメーカー(対戦カードや試合の流れ、結果を決める役割)としても活躍した。

数多くの選手と公私とも親しく接してきた、昭和プロレス黄金時代の"生き証人"である。

「あの時代、なぜ、プロレスがあれだけ多くの人々を熱狂させたのか。やっぱり猪木さんという卓越したスターを筆頭に、日本人対外国人の試合に迫力があって、お客さんを惹きつけたからですよ。プロレスは、地元のベビーフェイスが外国人のヒール、つまり悪役を迎え撃つところに本質があります。当時は、悪役と言ったらイコール外国人。国内における"悪役日本人レスラー"なんて、私の中では違和感があるし、見ているほうにしても感情移入しきれないでしょう? いい外国人を呼んで、日本人のエースと対決させるという図式こそが、プロレスの醍醐味なんです」

旗揚げ当初、全日本プロレスを率いたジャイアント馬場にアメリカの巨大プロモート組織であるNWAを完全に押さえられていた新日本プロレスは、外国人レスラーの招聘に苦労し、興行面でも苦戦を強いられた。

それを一気に変えたのが、「インドの狂虎」タイガー・ジェット・シンの登場だった。

「シンは今でも"潰れそうになっていた新日本を助けたのはオレだ"と言います。確かに、シンと猪木さんの抗争は日本中のプロレスファンを熱狂させ、新日本ブームを作ってくれた。だから、それぐらいのプライドは持って当然だし、私も、彼がいなかったら新日本は潰れていた可能性があると思っています」

当時、巡業に帯同する外国人レスラーの世話役でもあった高橋は、73年5月のシリーズ開幕直前、猪木から「新しい外国人を羽田空港に迎えにいってくれ」と頼まれ、こう脅された。

「タイガー・ジェット・シンという頭がおかしいのが来るから、気をつけて迎えにいってくれ。ホントにおかしいからな。ボンナカじゃないから(ホンモノだから)な」

何度も念を押された高橋は警戒しながら空港へ向かった。はたしてゲートから姿を見せたその人物は……。

「195センチ、120キロくらいの大きな体にビシッとスーツを着ている男だった。第一印象は、ガタイのいいビジネスマンだな、と。私の呼びかけに気がついたシンは自己紹介しながら、名刺を差し出したんです。いや、面食らいましたよ(笑)。レスラーから名刺をもらったのは彼が最初でしたね。猪木さんは"頭がおかしい"と言っていたのに、まさに紳士そのもの。実際、話をしてみてもレスラーらしくない、すごく丁寧な言葉遣いでした。聞いてみたらカナダのトロント地区ではベビーフェイスをやっていたと言う。"こんな男にヒールができるのかなあ"と不安になったほどです」

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