外国人専用バスにアンドレ席

出迎えを終えた高橋は、猪木に報告に向かった。

「"全然違うじゃないですか"と言ったら、猪木さんは"あ、そうか"なんて言って笑ってる。猪木さんは本当はわかっていたんですよ。シンを、ゼロからそういうキャラクターに"創り上げる"つもりだったということです。外国人係の私すらも騙してね(笑)。猪木さんのプロデューサーとしての才能はすごいですよ」

一方のシンも期待どおりの才能を発揮した。猪木の意図をそれ以上に理解し、「タイガー・ジェット・シン」になりきった。

「猪木さんは、一般人、つまりファンとは接触させるな、と言っていた。"ファンが近寄ってきたら、かまわねえから蹴飛ばしちまえ"と。これは試合会場や移動中だとか、"仕事場"においてレスラーを演じきるということだったんですが、シンはプライベートのときでも"握手してください"と寄ってくるファンを本気で蹴飛ばしてしまう。そこまでなりきっているんです。トラブルにならないよう、痛い目に遭ってしまったファンをなだめて謝るのは私の役割で、それはそれで大変だったんですが(笑)」

シンという男が、どれだけプロフェッショナルな意識を持ったレスラーだったかがわかる話だ。実は、若き日のスタン・ハンセンはシンのスタイルに大きな影響を受けたと、高橋は言う。

「ハンセンもシンと同じように、花道に登場したときから、すでに誰も近寄れない雰囲気を漂わせているでしょう?ブルロープをバチンバチンと振り回すのも、シンのサーベルにヒントを得たんだと思います。ハンセンはひどい近眼なので、私ですら近づくのが怖かったのですが(笑)。ハンセン自身、シンにずいぶん勉強させられたと言っていた。彼の試合を見て、どんなキャラクターを演じるべきか、考えた結果でしょう。やはりトップに上り詰めるレスラーは、そうした一流の感性を持っているものなんですよ」

外国人係は、巡業中につきっきりで彼らの世話をしなければならなかった。

「大きな幼稚園児を何人も預かっているようなものですよ(笑)。シリーズが始まる日の朝、まず東京の定宿だった新宿の京王プラザホテルのロビーに集合させます。旗揚げした頃の日本は高速道路が整備されておらず、バス巡業ではなく、東京駅や上野駅から汽車に乗って地方に向かっていました。それを引率するわけです。その後、高速道路網が発達し、70年代半ばには移動がバスに切り替わり、ずいぶん楽になりました。外国人専用のバスには、アンドレ・ザ・ジャイアントサイズの"アンドレ席"がありましてね。あの巨体ですから、普通の席より広々としたスペースを取ってある。酒好きのアンドレは、ここでビールやワインを四六時中飲んでいました。ビールですと平均で一日に大ビン50本くらい。後年、酒量がどんどん増えてコンディションに悪影響が出てしまいましたが……」

こうしてリング外で外国人レスラーと意思の疎通を図っていたからこそ、「リング上でのレフェリングをスムーズにすすめることができた」と高橋は語る。

「外国人レスラーと飯を食い、プライベートを含めていろいろな話をし、一緒にトレーニングをする。そうすると、"ああ、アイツは言わないけどヒザを痛めているんだな"とか、わかるわけです。この時間があったから、彼らも"俺たちを理解してくれているピーター(高橋の愛称)だから"と、信用してくれたと思うんです。いざ試合が始まれば、レフェリーとして試合を裁きながら、常に観客が何を考え、何を求めているのかを肌で捉えないといけない。レスラー同士の激しいファイトで、観客を興奮させる手伝いをするのがレフェリーとしての役割です。客席がちょっと沈んでいるな、と思ったら、レスラーの耳元で"場外で暴れちゃおうか"とか囁きます。すると、その選手は対戦相手を外に叩き出し、暴れて椅子でぶっ叩いたりする。観客は当然、ウワーッと興奮します。場内がヒートアップした頃を見計らって2人をリング内に戻す。場外乱闘がアクセントとなり、そこから会場の雰囲気はガラリと変わります。ただ、それをするにはレスラーとの信頼関係が不可欠。信頼がなければ、プライドの高い彼らが、こちらの言うことなどおいそれとは聞いてくれませんから」

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