祟りの伝え2
大蔵省官僚が次々に落命
大蔵省の中庭に残されていた首塚は関東大震災で大蔵省の官舎共々被災した。再建にあたり首塚の発掘調査がなされたが、その後は首洗い池とも呼ばれる御手洗池と、塚の下から発見された石室も壊された。大正12年(1923)、その上に仮官舎が建てられたが、大蔵大臣をはじめ官僚14名が亡くなった。

祟りの伝え3
大蔵省のトラウマ
大蔵省が古跡保存碑を建立したのは、昭和15年(1940)に大蔵省官舎が落雷で全焼したのがきっかけ。「首塚をおろそかにしているから」という畏怖の念から石碑建立となったという。

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