タレント なぎら健壱 「開会式の空は抜けるように青かった」

フォークシンガーでタレント、エッセイストとしてけんいちも活躍中のなぎら健壱さん(62)は、銀座生まれの江戸っ子だ。高度経済成長の真っただ中とはいえ、64年の日本はまだまだ貧しかった。

東京五輪を小学6年生で迎えた、なぎら少年の目に映ったオリンピックとは……!?

「オリンピックの開会式があった10月10日、東京の空が抜けるように青かったのをハッキリ覚えてます。開会式の終わりのほうで航空自衛隊のブルーインパルスが5機、大空に5つの輪を描いて見せたときは、子供心にも晴れがましい気持ちになりましたね。アタシは銀座の生まれでかつしかすが、小3のときに葛飾に引っ越しまして。小6のときに小学校の抽選に当たって、五輪の陸上競技を見に行くことになったんです。意気揚々と国立競技場に出かけたものの、スタンドはガラガラ。外国人選手が黙々とトラックを走っているだけで面白くもなんともない。引率の先生も飽きたんでしょう。

20分もしないうちに"じゃあ帰ろうか"。それで青山墓地でお弁当を食べて帰ってきた(笑)。"オリンピックは実況と解説つきのテレビで見るに限る"というのが、そのときアタシが得た教訓でした。五輪のための突貫工事によって、東京は大変貌を遂げました。首都高速を羽田空港まで延ばすために築地川を埋め立て、景観は二の次にして日本橋の上に道路をかけるような無茶もやった。五輪が残した負の部分は決して小さくない。

でも、その一方で東京オリンピックが日本人にとって戦後最大のイベントであり、お祭りだったことも事実。日本中があそこまでひとつになったのは東京五輪以外にないと思いますよ。だんらんまだ一家団欒があった時代というのかな。1台のテレビに家族全員がかじりつき、声をからして日本選手を応援する光景が見られたのは、あの時代が最後だったような気がします。2020年の東京五輪には賛否両論があったけど、アタシは賛成。クールジャパンじゃないけど、日本のすごさをもう一度、世界に発信して"恐れ入りました"と言わせてみたいね」

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