「暖をとらない」は本当の話

『幸福の黄色いハンカチ』(77年)で映画デビューを果たした武田鉄矢が会見で振り返るのは、ハンカチを見て桃井かおりと一緒に号泣するラストシーン。
「あの時は、監督がどうしても真っ青の青空で撮るんだと言って、5日間も待たされたんです」
武田はあまりに待たされたためイライラして、黄色いハンカチを見ても演技ができない状態に。
「健さんが急に振り返って"1か月間、ロケ辛かったろ。東京へ帰っても元気で暮らすんだぞ"って言ってくれてね。この人と別れるのかと思うと、映画と関係なく泣けてきてね」
焦る武田の心境を察して、健さんが機転を利かせたのだ。

俳優の八名信夫さんが本誌に語ったところによると、彼も健さんに助けられた一人。
「石井輝男監督の作品にご一緒させていただいたときのこと。僕が先輩(高倉健)に啖呵(たんか)を切って噛みつく喧嘩のシーンだったんだけど、セリフが長くって、何度もNGを出して焦っちゃったのよ。監督がイラついていたのがわかるし、ますます焦っちゃった。そしたら先輩が、"監督、僕のセリフですけど、こう変えたほうがいいんじゃないか"って。そしたら監督も、"そうだな、そうしよう"と。つまり、撮り直す必要性を作ってくれて、僕のNGを庇ってくれたんです。あのときは本当に涙が出そうでしたね」

せんだみつおも、こんな思い出を語っている。
「京都のホテルで知人の結婚式の司会をしていたとき、"せんださん、ご苦労様です"と声をかけられて振り向くと、健さんがコップ1杯の水をお盆に載せて立っていました。当時の並み居るスターたちも出席されていた式だったんですが、健さんの気配りに感謝感激。水を一気飲みしてお礼を言ったんですが、かえって緊張してしまって、ボロボロの司会になってしまいました(笑)」

お次は、歌手の弘田三枝子がブログで明かした話。「あるとき、高倉健さんとご一緒にスポンサーさんの接待がありました。行ったクラブで、歌を歌って欲しいと要望され、困ったことがあります」
プロの歌い手として、ステージ以外では歌わないというのが彼女のポリシー。すると健さん、「絶対に歌ってはいけませんよ、あなたはプロなんですから」と囁くや、「僕が歌いましょう」と助け舟を出してくれたという。
「先輩は、本当に自分に厳しく人に優しい方でした。そんなだから、共演している女優さんもみんなホレちゃってね。もう態度を見れば、ホレてるのが一発でわかったもの(笑)」(前出・八名さん)

再び、たけしの回顧談に戻ろう。『夜叉』の撮影時、出番のない健さんが豪雪の中、わざわざ差し入れを持ってきてくれたという。
「でも、健さんは絶対に座らないし、ドラム缶の火にも当たらないから、オレたちも座れないし、火に当たれない。それで、健さんが"何か、僕にできることはないですか?"って言ってくれるんで、"帰ってください。みんなが気を遣ってしょうがないから"って、言っちゃったよ」
たけしが27年ぶりの共演となった『あなたへ』の舞台挨拶で、その話を暴露すると、健さんが「全部、タケちゃんの作り話。迷惑しています」と言い、会場は爆笑の渦に。ただ、この話、正真正銘の本当だという。
八名さんも、同様の体験をしているからだ。

「屋外のロケでは、先輩には専用のテントが用意されていて、中にはストーブが焚いてあり、お茶にお菓子があった。それでも先輩は、他の役者が演技しているのに悪いからと、絶対にテントには入らず極寒の中で立って待機していたからね。先輩がそうやって立っているのに、後輩の僕が暖をとるわけにはいかないでしょう。もう、辛くてね(笑)」

  1. 1
  2. 2
  3. 3