先の総選挙で圧勝した安倍自民党。今後、安倍首相の長期政権が言われる中で、浮上する未来の首相の名!

「この道しかない!」
"鉄の女"マーガレット・サッチャー(英国初の女性首相)が掲げた政治スローガンを錦の御旗に、総選挙の大勝負に打って出た安倍首相。結果は見事、他の党を圧倒し、長期政権へのパスポートを手中に収めた。
「衆院選で2度にわたって290議席以上を達成。自民党にとって、これは大功績です。これで、15年9月の自民党総裁選での再選は確定的となりました。今、首相はこの勢いのまま20年の東京五輪までトップを続けたいという野望まで抱き始めたといいます」(全国紙政治部デスク)
そんな絶頂にある安倍首相をも、「いずれは凌駕する」と言われる未来のヒーローがいる。それは……。

「小泉進次郎復興政務官です。衆院当選3回、いまだ33歳の若さですが、先の衆院選では応援弁士としての要請がひっきりなし。選挙期間中に回った遊説先は27都道府県の64か所。移動距離は約1万5000キロ。換算すると東京から南極までの距離を駆け抜けたことになります」(前同)
自身も候補者でありながら、選挙期間中に地元・横須賀の選挙区(神奈川11区)に入ったのは、わずか2日間。それでも、開票直後に当確が打たれる圧倒的な強さを見せたのだ。
「全小選挙区候補者中、得票数1位(16万8953票)とブッチギリの勝利でした。安倍首相の10万829票(山口4区)を嘲笑うかのような得票数で、得票率83.3%も断トツの1位です」(自民党中堅議員)

この進次郎氏は、いわずと知れた小泉純一郎・元首相の次男。政治一家・小泉家4代目の世襲議員だ。
「政治家として初出馬(09年)した当初から、甘いマスクと爽やかな受け答えで注目を浴びました。ですが、多くの有権者は内心、"しょせん世襲のボンボン"と見くびっていたのも事実です」(前同)
だが、その考えが覆されるのには時間はかからなかった。
「すぐに、永田町の人気者となっただけでなく、テレビや雑誌でも救世主とばかりにもてはやされ、人気を維持し続けているんですからね。いまでは"親父以上の器だ"という声さえ出ていますよ」(同)

その進次郎人気は、甘いマスクや爽やかな弁舌だけが要因ではない。"喧嘩師"の異名を取った父・純一郎氏も脱帽する硬派一直線の男ぶりにも、庶民はヤンヤの喝采となった。
たとえば、安倍首相が突然放った衆院解散の当日(11月21日)、衆院本会議場での、"恒例"の万歳三唱に進次郎氏は、
「多くの国民の反応は、"なぜ、いま解散なのか"と。万歳している姿が、余計に国民との距離を生むんじゃないか」
と万歳を拒否。また、直後に行われた安倍首相の出陣決起集会も欠席した。まさに"男・高倉健"並みに、腑に落ちないことには従わぬ硬派ぶりを見せたのだ。

進次郎氏の政治家としての真骨頂は「原発問題」に如実に表れている。
「自民党議員の多くが、原発推進を唱える安倍首相の顔色を伺って旗幟を鮮明にしない中、進次郎氏だけは"原発事故の収束なくして、福島の本当の復興はない"とし、11年3月11日の東日本大震災以降も福島などで被災地を支援。熱い想いは微動だにしておりません」(進次郎氏とともに被災地を回り続けている『TEAM-11』のメンバー)
その進次郎氏が東日本大震災復興に関わったのは、震災発生から8日後。11年3月19日未明のことだった。
「この日、2トントラック2台をチャーター。翌朝にはおにぎりを満載にして仙台入り。そこを拠点に、各避難所に物資のピストン輸送を行いました。以後、最低でも毎月11日には被災地を訪問して支援を続けています。これは、現在に至っても変わりません」(前同)

ある日のこと。ある新聞記者が、
「なぜ、政治家がそんなに被災地に行くんですか?」
と質問したことがあった。
それに進次郎氏は、
「政治家こそ自分の足で被災地を歩いて、現状を目の当たりにすべきだと思っています。そして、我々政治家がすべきことは、国民に対して日本の復興に何が必要なのか、メッセージを発信することです」
この選挙期間中も、12月11日の被災地入りを党に直訴。いまだに仮設住宅で不自由な生活を続けている人たちを前に、
「(解散時)万歳している姿を見た被災地の皆さんと心の距離を隔てることになると思い、(万歳を)できなかった」と心情を吐露。
続けて、「復興の歩みは止めない」と力強く宣言。
被災した人たちの熱い涙を誘ったのだ。

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