「今と違って、当時はほかの道場に行っちゃいけないような空気がありましたからね。でも、ある日、僕がキックの道場に通っていることが新日本にバレた。叱られるかな……と思って覚悟していたら、猪木さんは褒めてくれたんです。僕が強くなるためにやってることだったからでしょう」

タイガーマスクとしてブレイクを果たしてからも、佐山は控室が一番怖かったという。 

「タイガーマスクの全盛期でも、猪木会長や山本小鉄さんに怒られるんじゃないかって、ビクビクしながら試合をやってましたよね。今の選手がやるようなクルクル回ってポーンって返してみたいな、あんなのはあり得ない。僕のころなら、絶対に猪木会長や山本小鉄さんに怒られますね。たとえ飛んだとしても、勝負としての理論がつながらないと、やっても意味がないと思うんですよ。僕は今、リアルジャパンプロレスの若い選手には『猪木会長のビデオをよく見ろ。タイガーマスクのビデオは見るな』って言ってるんです。僕のタイガーマスクの動きは基礎体力でやってることであって、無理に作ってる動きではないんですけど、若い選手はそれを理解できないから、派手なところばかりを見て動きを作っちゃうんです。大事なのは、猪木会長がよく言っていた『リングの上は闘いである』っていう、その〝闘い〟の部分を見せられているかどうか。そして、それを誰よりも体現していたのがアントニオ猪木なんです。だから、『猪木会長のビデオをよく見ろ』と言うんですね」

その〝闘い〟をよく表現した試合として、佐山はひとつの試合を挙げた。

「猪木vsヒロ・マツダ戦です。僕も、猪木酒場かどこかで流れてたのをぼんやり観てたんですけど、猪木会長もマツダさんもお互いに動かないんですよ。でも、画面に引き込まれちゃうんですよね。その惹きつける要素は何かっていうと、『リングの上は闘いである』ということを見せてるんですよね。
僕も観ていて、『ああ、これだったんだ!』と思いました。ただ関節を取り合って、我慢比べしてもファンは面白くもなんともない。そこにスペクタクル的なものがないと駄目なんです。例えば、総合格闘技の場合は、興奮しないで、どう冷静に対処していくか。その精神をどう保っていくかっていう風に体を使っていくんですけども、プロレスは、反対です。リングの上で『ぶっ殺してやる!』って気持ちを出せないといけない。当時、プロレスもうまくてガチンコも強いある選手がいたんですけど、その気持ちの部分が試合で表現できないんですよ。で、猪木会長がその選手に言った言葉が『オマエ、街で喧嘩してこい!』ですから。そういう気質が大切なんです。昔の試合を観て、猪木会長には、『本当にやっちゃうんじゃないか、この人は』みたいな空気があったでしょ。そこなんです、いちばん大切なのは」
 
80年代前半、タイガー人気も相まって、大人から子供までが視聴し、平均視聴率が20%越えだった『ワールドプロレスリング』。その数字は、今より娯楽の選択肢が少ない時代だったとはいえ、佐山のいう「猪木が見せる闘いの感情」に魅せられていた人が多かったことの証明ではないか。

「例えば、アメリカのプロレスのように体をつくって、試合もつくっていたら……僕は〝学芸会”と呼んでますけども、それでは闘いの感情を見せることはできない。ナチュラルで試合ができてガチンコも強い選手たちが、何も決めないでもできる、その上で闘いの感情を見せる。それが、アントニオ猪木の試合であり、僕らがやってきたプロレスなんです。今のプロレスとは異質なものですね」

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